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2016.05.05 THU - 読書ブログ

毒親の介護はしなくていい!『老いた親とは離れなさい』坂岡洋子著を読んで

記事を読んでいただきありがとうございます。一月万冊の大下周平です。今回紹介するのは『老いた親とは離れなさい』という本です。これまで取り上げてきた毒親との関わり方といった本とは少し毛色が違い、介護に関する問題などが中心となっています。最初の三つの章では介護に関する具体的な事例や介護の現実についての話、介護を担う女性や介護女性と娘の貧困についての話など、老後面倒を見ていくという上でなかなか銀実的でシビアな問題について目の当たりにすることが出来ます。

私も具体的にどうしようと言うことは考えていないまでも、母親が父方の祖母の介護を行ったように誰かがやるのかなと思っていました。その誰かも私、私の姉、私の将来の妻などいろいろな可能性はあるのですが、主には姉というイメージがあったように思います。今回の読書を通じて思うことは、介護は生半可なものではないと言うことと、具体的な数字として文章中にいくつか出てくるのですが、介護をする前と比べて「世帯の収入が減った」と回答したのが約50%強、加えて「支出が増えた」が男性で49.5%、女性で60.7%という記載がありました。また、要介護者から見た主な介護者の続柄では、配偶者が25.7%、子20.9%、子の配偶者15.2%であり、男女比では男性30.6%、女性69.4%です。要するに配偶者もしくは子の配偶者とされている人の多くが女性であり、女性が中心となって介護をしているという実態があります。

ここで出てくるのが女性、特に独身の娘に対する親の介護負担です。親は子どもに面倒を見てもらいたいと思っています。親からすれば子どもがいるかいないかは、老後を安心して暮らすための重要なファクターです。これがかけてしまうと、実際老後をどう過ごすことが出来るのか不安で仕方がないと思います。要するに親からすれば命がかかっているわけです。その命綱とも言える子どもを逃さないためにそれこそクリエイティブにいろんな言い方や行動により子どもを逃げられないようにがんじがらめにしていきます。これまで育てた恩を忘れたのか、私のおかげで今のお前がある、親の面倒を見るのは子どもとして当然の義務、お前は私がいないと幸せになれない、など、ありとあらゆる呪いの言葉を使って子どもの行動を縛っていきます。子どもは親を拒絶することが出来ずに、心の中ではいやがっていたとしても断るという発想が生まれることもなく、従わなくてはいけないというつらい時間を過ごす羽目になります。そしてそれをまた自分の子どもにも当然のこととして要求していくという負の連鎖ができあがっていくのです。

ではどうすればいいのでしょうか?これについては別の毒親本の書評でも伝えましたが、ちょっとそれを引用してみましょう。

なにより重要なのは自分のケアです。親によって壊されてしまった自尊心、自信、全能感など、それらを取り戻していきましょう。あなたはなんでもできるし、なにをしてもいいのです。そしてそれを親にとやかく言われる筋合いもありません。自分で決めて自分で責任をとれば良いのです。自分で責任をとりさえすれば社会からも受け入れられますし、一人の人間として生きていくことに困ることはないでしょう。自分自身が親の元を離れて成長し羽ばたいていくことを自分に許しましょう。それが心から出来た後であれば、親に対しても許すことが出来るかも知れません。親を変えることは出来ませんが、自分を変えることは出来ます。体力的にも親より上回っているのであれば余計にそうですが、すでに親は年老いた老人であり、老後の安定を最優先に考えている普通の人なのです。どんな関係にするかは自分自身で決めていいことですし、親が望む望まないは一切関係ありません。親は親の人生を自分は自分の人生を歩んでいくだけです。

自分を解放するために親と対決するのも有効な手段です。ここで重要なのは親は変わってくれないという前提で話をすることです。いろんな本を読みましたが、結局親子関係としては何も変わっていないというのがほとんどです。その中で自分としてすっきりしたかというところが重要で、相手の対応やその後の関係性に解決を求めてはいけません。なぜならそれはすべて外的要因だからです。外的要因によって左右されてしまうのであれば、また親子関係やぎくしゃくしたときに過去のいやな思い出とともに呪縛が復活してしまいます。だからこそ内的要因、要するに自分自身の心持ちこそが大切です。自分が親子関係を適切に構築できていると思うことが、親からの呪縛から解放されたときです。

毒親による子供の自信喪失に立ち向かう 『母が重い!』下園壮太 著 読書レビューより引用

親との対決、親との関係を断ち切る、親の言うことを聞かなくても良いと知るなど、そもそもが従う必要のない洗脳であると認識し、理解することです。そして相手が毒親であるとわかってくればわかってくるほど、関係を断ち切った後は一切連絡を取る必要もありません。病気だからと言ってお見舞いに行く必要もなければ、死にそうだからと集まる必要もないのです。そう聞くと、なんてことを!ばちあたりな!親不孝だ!ありえない!と反射的に汚物を見るかのような反応をする人がいるかも知れませんが、それが洗脳にはまっている証拠です。病気になったときに親のところに行って仮に今までのことを謝られたからといってすべてがチャラになるのでしょうか。そしてだからといって老後の面倒を見てあげようという気になるのでしょうか。きっとならないと思いますし、それでなるんだったらもともとたいしたことではなかったのでしょう。親が死にかけているからと、駆けつけて何になるのでしょうか。幼少の頃に受けた虐待がすべて綺麗に癒やされるのでしょうか。そんなわけはありません。むしろ親が死んだとしても、墓石に向かって罵詈雑言とこれまでの恨み辛みをしっかりとぶつけるほうが、精神衛生上良いでしょう。

たいてい10年以上、おそらくは20年前後は毒親の脅威にさらされ、許しがたい扱いを受け続けてきていると思います。それが解決できるというのは、相当のことがない限り無理ですし、現実問題として解決なんて不可能でしょう。自分が親を許すか、親を一生許さない対象として関係を絶つしかないと思います。時間は戻ってきませんし、あのときの悲しい気持ちやつらい気持ち、苦しさ嘆きは癒やされることはないです。そして親の心持ちや考え方が変わると言うこともありません。であれば自分がそこに対してどう向き合うか、どういう結論を出すか、しかないわけです。

親を捨てて何が悪いのか。親を捨てるという言葉自体にばつの悪さや申し訳なさがあるようであれば、そう思ってしまう感情の源泉を考えましょう。親を捨てると言うことは、そもそも親を殺すことではありません。親に自身の人生を自己責任で勝手に生きてもらうだけです。自分の生活を犠牲にしてまで親の面倒を見る必要はありません。むしろ自分がそういう親にならないために老後のことを考えていく方が健全でしょう。そして自分が何とかしなくても、いろいろな制度やNPO団体など利用したりすることで親の老後の面倒について何とかなることもあります。そういう部分について時間をとって考えて行動するのが、自分にとっても親にとっても自分の子どもにとっても有意義なことではないでしょうか。経済的に余裕があれば親に援助するのも良いかもしれませんが、それはあくまで余裕があればであり、まずは自分の周囲においてしっかりと生活ができていけるようにするのが大前提です。介護に関してはどのようなことができるのかについて、いろんな情報がこの本には載っています。親のことを気にしている人には一度読んで欲しい本ですし、これをきっかけとして親との関係も見直してみてほしいです。
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大下 周平

一月万冊の清水と大学時代からの友人。ゲームが好き。清水にはじめて『こいつには絶対格ゲーで勝てない・・・!』と悔しがらせた男。彼と代表が対戦して勝てる可能性は5%以下。月に100〜300冊ほど読書をし、清水の会社で執行役員としても活躍!

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