2016.04.30 SAT - 読書ブログ
毒親に育てられた娘の一代記 小石川真実著『親という名の暴力』
今回取り上げるのは小石川真実著『親という名の暴力』という本です。最近親と子どもの人間関係というか、家族における教育にあり方や接し方について向き合うことが多かったので、改めていろんな本とともに10冊ほど読んでみました。そしてその中の1冊にこの本があったのですが、いろいろと思うところや気づきについても併せてお伝えしていきます。
小石川真実さんは東大医学部を卒業した女医で他にも『東大卒女性医師の告白』であったり、『幸せに生きるための12の言葉:~ウツのドン底から生還した女医からの提案~』という本を書いています。今回取り上げた本では様々な親からの虐待についての描写が事細かに描かれています。そもそも執筆を開始した2001年から10年経過してようやく完成したという本ですので、出産のタイミングから幼少期、小学生、中学生、高校生、大学、社会人とそれぞれの場面場面でどのようなことがあったのかということが、実に微に入り細に入り書かれていてページ数としても550ページ超あります。それだけ子どもの頃のことをずっと覚えているし、どれだけの思いをしてきたのかが表現されていると思います。
著者を苦しめ続けるきっかけともなった母親の精神の専制支配は生まれて間もない乳児期の頃から始まっています。著者の母親は育児書を丹念に読み、そこに書かれていた「生後何ヶ月の子どもは、何時間おきに何mlずつ」という授乳量の目安を1mlも違わずに、著者にミルクを飲むよう強制していました。それに対して命の危険を冒してまで著者は反抗を試みたのですが、母親が鼻から胃までの細い管を通して、ミルクを注入し飲ませる経管栄養を行うことにより、育児書通りの量を与えることに成功しました。その結果、赤ちゃん時代の無意識で命がけの反抗に対して、母親は多少手こずったとは言え、はねのけてしまったことが、著者に対して母親の絶対性や逆らってもかなわないどころか、むしろ逆らってはいけない人という認識が生まれたと考えています。
そもそも育児書に関しては様々な本が出ているとともに毎年新しい議論が巻き起こり、新しい常識が生まれは消えていく世界です。というのも赤ちゃんの行動に関して行動心理学的な見地や臨床心理学的な見地からいくら推測したところで、サンプルによって結果が毎回変わってしまうからです。そもそもサンプル数の問題もあります。100万人という膨大な赤ちゃんから学術的に検査して実験して得られるならまだしも、そもそも人体実験はできませんし、そこまでサンプルが集まるのかというと集められないでしょう。そしてそれだけサンプルが集まったところで個体差や地域環境、家庭内環境の差によっても大きく変わってきてしまいます。目に見える部分で有意性を求めても、結果としてそのときのサンプルから得られた結論であり、体系的な結論にはなりえないでしょう。育児書に絶対はあり得ないですし、そもそも神は死んだと証明されて以来、一切の物事や論理において絶対性は存在しません。
そういう意味では母親の間違った方向における懸命な努力により、育児書は唯一神における絶対に間違ってはいけない経典のごとく扱われたのは、知識不足が招いたことと言えるでしょう。それが単なる知識不足で終わって良いのかというともちろんそんなことはありません。詳しくは本を読んでみてほしいですが、著者はすでに4~5歳の幼児期において母から「情けない」「つまらない」と嘆かれることは、「お前は生きている価値がない」という”死刑宣告“に等しかったと書いています。「あなたが居てくれることが理屈抜きで嬉しい」という気持ちを込めて、母から笑いかけられたことがほとんどなかったことが、著しく自信を欠如した子どもであった原因であったと推測しています。その結果、自信がなく他人からの評価に拘泥し、相手が誰であるにせよ、はっきり自分のことを嫌いといわれなくても、ちょっと不快な表情を見せられただけで、とても生きていられない気持ちにたたき落とされ、パニックに陥ることが40歳まで続いたそうです。
今回取り上げた本でもそうですが、特に重要な点は親からの無償の愛が獲得できない子どもは自身の存在意義を親からの評価、親から評価が得られないと他人からの評価に求めます。ですが評価として本来求めているのはあくまで無償の愛であり、他人からそれを得ることは不可能です。そして親からもそれが得られないとわかったら絶望するしかありません。だからこそ絶望に向き合うことを避け、理想の家族や無償の愛を求めてゴールなき旅に出ます。永遠にたどり着けないゴールに向かってどこかに本当はゴールがあるんだと思って日々を過ごしてしまいます。その結果出会った人に迷惑をかけたり傷つけたりしながらも、自分は悪くないと思ったり、むしろ自分が悪いとさえ思わずにまた新しい犠牲者を求めてしまいます。
私自身家族としての機能は正常に果たされていたと思っていましたが、今回の本もさることながらいろんな本を読んでみると我が家と似たような事例が取り上げられています。大学生の当時に母親が寝ている私を起こすために布団の中に入ってくるとか、普通に考えると異常です。でもそれが異常だとは思っていませんでしたし、ちょっといきすぎた愛情表現、いきすぎた冗談程度でした。でも実際に一人の人間として扱うのであれば、恋人でもないのにおかしな行動ですし、家族の誰に話してもそれがおかしなことと思えない状態にこそが大きな問題だと言えます。それがなぜ問題としてとらえられないのかというと、疑問に思わないし自分で考えることをしていないからです。そしてそれは自身の人生をどうしていきたいのかにもつながります。自身の人生について考えることがないから、こういう風にしたい、今はおかしい、不満だというエネルギーも生まれず、漫然と日々を過ごしていくだけになってしまいます。
親と自分は別の人間であり、自分は自分で目標に向かって進んでいけば良いのです。親が介在する必要も、親に縛られる必要もありません。親は親で別の人生を歩んでいきますし、そこに老後の面倒をみるかどうかも、これまでの親との付き合いから総合してやりたければやる程度で十分でしょう。親は親、子どもは子どもです。自分の人生を切り開き、親の呪縛から解き放たれることがこれからの世界の未来にとっても良いことでしょう。だからこそみんなも読書をして知識を増やし、正しい付き合い方を考えてみてはいかがでしょうか。
大下 周平
一月万冊の清水と大学時代からの友人。ゲームが好き。清水にはじめて『こいつには絶対格ゲーで勝てない・・・!』と悔しがらせた男。彼と代表が対戦して勝てる可能性は5%以下。月に100〜300冊ほど読書をし、清水の会社で執行役員としても活躍!
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