2016.05.28 SAT - 速読多読コーチング
本屋が潰れていくのは民主主義の崩壊にも聞こえる
売れる努力をしないから
時代だから
という意見がある。確かに本屋は資本主義のルールで運営されてるのだから淘汰されても仕方ない。日本で有名な社会学者だった小室直樹さんもその著書の中で
倒産と失業が資本主義のダイナミズム
と言っている。簡単に言うと
不味いレストランは潰れ
美味しいレストランは繁盛する
働き者は出世して
怠け者は失業する
と言う事。これは資本主義的に正しい。
しかし、
資本主義的に正しい売れる本
と言うのはどういうものだろうか。それは
読者にサービスをしてくれる本
と言える。読者はお金を払って本を買う。資本主義の中ではサービス、商品が通貨によって流通する。資本主義の正義では沢山稼いだ方が勝ちだ。このどっぷり資本主義に使った私たちはついつい本も同じように
私にとって読みやすいか?
私にとって気持ちいいか?
私にとってプラスか?
と言う観点で判断してしまう。これは資本主義の消費者としては非常に正しい行動だ。何も間違ってない。例えばあなたがレストランに行くときに
私にとってこのレストランは美味しいか?
私にとってこのレストランはコストパフォーマンスがいいか?
私にとってこのレストランはお金を払うのに足るモノか?
と判断する。間違っても
私にとってこのレストランは不快な場所か?不快なら行こう。
私にとってこのレストランはお金を払う価値が分からないところか?わからなくても行こう。
などとは判断しない。消費者である私たちは必ず
対価に見合うか?
と言う判断をする。自分にとって都合良いものか?と言う判断をするのが自然だ。例えば知り合いがレストランをオープンしたからと行って義理人情で仕方なく訪問したが、大して美味くなかった・・・しかも高い・・・そんな時の気持ちを想像して欲しい(笑)嫌でたまらないはずだ。消費者としては嫌でたまらないが、友人としては仕方ねえなあ・・・という感じだろう。
この時、せっかく友人が開いたレストランに消費者としてしか判断せず、お前のメシは不味いし潰れた方がいいから行くつもりはない、と言う判断をする人は資本主義100%の人だ。そういう人はなんだか冷たい。あ〜美味しくないなあ・・・とか遠いなあ・・・と言う判断をしつつも、仕方ねえなあ・・・行くか(笑)という判断が五分五分くらいの人が『いい人』だ。逆に振り切れていて、友人だからと自己犠牲的に自分のお金をつぎ込む人がいたらそれはそれで駄目だ。バランスをとり、自分の財布の中身、都合、時間、腹の空き具合、友人のレストランの繁盛具合、を鑑みて総合的に判断するのがいい人だ。
つまり経済学で言うような
完全に合理的な判断
などしないほうがいい人だ。
実は本屋にも同じような感覚が必要だ。
本を買う、と言う行為は確かに資本主義的な行動だ。自分の労働時間、人生時間を切り売りして作った大切なお金の一部を払うのだから例え500円の文庫でも、1000円の新書でも3000円のハードカバーでも大切な取引だ。
だから
私にとって読みやすいか?
私にとって気持ちいいか?
私にとってプラスか?
という本を『ついつい』選んでしまう。本を買うという行為は色んな目的がある。大きく分けると
娯楽
と
学習
この2つがある。娯楽なら映画やアニメゲームマンガ、スポーツ観戦、ボウリング・・・などのレジャーと同じだし自分にとって
私にとって読みやすいか?
私にとって気持ちいいか?
私にとってプラスか?
という消費者的感覚、資本主義の正義で選んでもかまわない。しかし
学習
が目的ならそれは大きな間違いだ。この一月万冊のサイトを見て小室直樹さんの名前が分かるような人は日本に何%いるのかわからないけども、少数派だ。そういう人達が学習目的で本を買うときに、決して資本主義的感覚で本を選んではいけない。
なぜなら
学習とは資本主義ではないから
だ。
教育や学習が結果的に年収を上げることには繋がる。実際日本やアメリカを見ても収入と学歴は明らかな相関関係がある。
かつてイギリスの哲学者ジョンスチュワートミルが大学教育について、自ら大学の総長に就任した際に演説で
“大学が国民教育のなかで果たすべき本来の役割については、十分に理解されていると思われます。少なくとも大学がこうあってはならないということについては、ほとんどの人々の間で意見の一致がみられます。大学は職業教育の場ではありません。”
と言っています。簡単に言うと『金儲け目的にして学ぶな』だ。教育とは良き市民に成るために必要で、国全体、市民全体が幸せになるために最低限教養を身につける必要があるから学ぶのだ、と言っている。
古い話なので分かりにくいかもしれない。だから現代の例え話を考えてみる。
仮に私たちが子供時代、3〜6歳の頃に算数国語社会理科などは楽しいならやればいいし、やりたくないならやらなくていい、と言ったらどうなるだろうか。
日本国民の教育は大きなばらつきが産まれる。足し算も出来ない人がいたり、漢字が読めない、文字が書けない人も出てくる。基礎的な英語や科学の知識すら無い人も出てくるだろう。
このようになってしまっては大変だから子供が多少むずがっても学校に行かせる義務が親にある(親に義務があるので義務教育だ)し、親が家の手伝いをしてくれた方が楽だから、と言う理由で子供を学校に行かせない、と言うことは許されない。
もし、子供が資本主義的な判断をしていたら?
私にとってその学びは(友達と遊んだり寝てたりスマフォゲームするより)楽しいか?
私にとってその学びは(友達と遊んだり寝てたりスマフォゲームするより)気持ちいいか?
私にとってその学びは(友達と遊んだり寝てたりスマフォゲームするより)プラスか?
と判断してしまうと大変な事になる。勉強する子供としない子供の教育レベルにばらつきができすぎてしまう。
だから学習とは資本主義的感覚な消費者目線で行ってはいけない。本屋に行って娯楽の本ではなく自分の学びのために本を選ぶなら
私にとって読みやすいか?
私にとって気持ちいいか?
私にとってプラスか?
の真逆で選んだ方が良いくらいだ。例えばビジネスマンは本気で学習したいならもしドラなんかをマンガや小説で読むよりも、ドラッカーのマネジメントを読んだ方が良いし、翻訳本よりもむしろ原書を買って読んだ方が良い。
私にとって読みやすいか?
私にとって気持ちいいか?
私にとってプラスか?
というレベルで考えれば考えるほど、学習目的の本は意味をなさない。それは小学校の算数の方が楽ちんだから、いつまで経っても方程式や微分積分を学ばず、量子論も学ばないようなものだ。それを10年20年続けても何の成長もない。
よく、自己啓発本ばかり読んで何も成長してない人がいるけども、それは本を選ぶ際に自己啓発を目的にしつつ
私にとって読みやすいか?
私にとって気持ちいいか?
私にとってプラスか?
という慰めを求めているだけだから成長しないのだ。
微分積分が出来ない受験生が俺は九九が出来ると自分を慰めているくらい滑稽だ。
そもそもビジネスも資本主義も『金儲け』は結果であって目的ではない。より良いサービス、より良い商品を生み出したときに『結果として金が儲かる』のに過ぎない。
にもかかわらず『金儲けを目的』にしている人が多すぎる。そんな当たり前のことも分からないまま、お金儲けを目的にして、資本主義的感覚ばかりにならされて本屋が潰れていくのは恐ろしい。
本屋が潰れていく・・・それは資本主義的に正しい。私はアニメゲームマンガ専門のビジネスもしているし、上場ゲーム会社の役員も勤めている。どう考えても娯楽という目的においてアニメゲームマンガ、特にスマフォゲームに読書は勝てない。
村上春樹などの小説家もいるけども娯楽においてスマフォゲームに勝てるわけがない。売上という意味でもせいぜい200万部のベストセラーというレベル。一冊1000円でたった20億円の売上しかない。2000万部売れても200億円程度。スマフォゲームは売上1000億、2000億が当たり前の世界だ。
読書は
私にとって読みやすいか?
私にとって気持ちいいか?
私にとってプラスか?
という資本主義のサービスの視点で考えた時に敗北するのは仕方ない。だから本屋が潰れていく。
読書、本屋は
他の娯楽に比べて面白くない
と消費者に判断されているからだ。娯楽目的の本が売れなくて本屋が潰れるのは何問題ない。それは営業努力がなってないからだ。アニメゲームマンガだってつまらないものは売れない。
リアル書店がAmazonに負けるのもネットサービスよりも消費者に付加価値を出せてないからだ。それは資本主義的に正しい淘汰だ。
しかし、それだけで本当にいいのだろうか。本屋が潰れていく。これは民主主義崩壊の音だ。あるいは既に崩壊していた民主主義がついに馬脚を現し始めたのかもしれない。
本屋が潰れていき、Amazonや生き残った本屋に並ぶのは
娯楽目的の本ばかり
になったらそれはもう世の中おしまいだ、と感じるのは大袈裟だろうか。
図書館があるじゃないか
と言うかもしれないが、日本の図書館の資料購入費用は合計で約280億円程度でしかない。日本国民が1.2億人いるなら、一人あたり233円しか使われていない。しかも年間である。年間一人あたり233円しか国民の読書にお金を使わない国が娯楽以外の学習目的の読書を成り立たせられるとは到底思えない。
下記は文部科学省の予算 資料購入費用について
下記より引用
http://www.jla.or.jp/Portals/0/data/iinkai/%E5%9B%B3%E6%9B%B8%E9%A4%A8%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E4%BA%8B%E6%A5%AD%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A/2015%20%E5%85%AC%E5%85%B1%E9%9B%86%E8%A8%88.pdf
国民が一人あたり月100冊読むために必要な予算は本を1冊あたり1500円とすると
月100冊×1500円=15万円
月15万円×12ヶ月=180万円
1.2億人×180万円=216兆円
もかかってしまう。もしこれを予算化出来るならゼネコンや金融を超えた『図書館利権』の誕生だ(笑)紀伊国屋書店の社長の年収はカルロスゴーンを軽く超えるだろうし、本屋の創業社長で孫正義も大金持ちになる人が出てくる。それはそれで楽しいけどもちょっと非現実的すぎるので1世帯あたり月100冊にしたらどうだろうか。
約5,500万世帯×180万円=約99兆円
になる。これでもやはり非現実的だろうか。月100冊ではなく年間100冊なら
約5,500万世帯×15万円=約8兆円
になるから現実的になる。8兆円は図書館予算でカバーするから後は自分で読んで欲しい、と言う風にするのが最低限だろうか。アニメゲームマンガや娯楽、雑誌、小説などはこの予算の対象外にしてもいい。学習目的ではない本を読むための費用を国が8兆円分くらいサポートするようになったらとても楽しい世の中になりそうだ。
この8兆円の予算を全て図書館に回すと出版社は儲かるけど本屋が潰れてしまいそうなのでそこは知恵を絞る必要がありそうだ。
ただ、いずれにせよ、本屋が潰れていき、図書館予算も少ない状況では民主主義が成り立つとは思えない。資本主義が公平に成り立ち、社会が健全なビジネスで回るためにも本屋は何かしら潰れないようにした方が良い。
それに対して
売れないから
営業努力してないから
の一言で済ませるのはあまりにも本屋、書店の意義を金に汚されたメガネのレンズ越しに見ているとしか思えない。本屋が潰れていくのは民主主義の崩壊の音、これが誇大妄想にならないように私も本を読み、権力を持つなり、大金持ちになるなりしてこの流れに一矢報い、より良い社会、本屋が日本中にあるような世の中にしたい。その為にも今日も学ぼう。
いつか六本木ヒルズ丸ごと本屋!みたいにしたいなあ〜(笑)
清水 有高Yukou Shimizu
ビ・ハイア株式会社 代表取締役
一月万冊 清水有高(しみずゆうこう)滋賀県出身。元不登校児、母子家庭育ち。ビ・ハイア株式会社代表取締役。滋賀県立大学人間文化学部卒業。ベンチャー役員、上場企業役員などを経験しコーチ、投資家、経営者として活動中。東京大学を始め各種大学でも講演多数。コーチングと読書を経営に活かし営業利益1億円以上、自己資本比率70%の会社を経営。8年間でスタッフ1人あたりの営業利益を100倍以上にする。
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