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2020.02.17 MON - 速読多読コーチング

ハーバード医学部が教えるちょっと病的な精神の方が成功してしまう理由。でかい夢を持てない人は健康な人?!


「ハーバード医学部が教えるちょっと病的な精神の方が成功してしまう理由。でかい夢を持てない人は健康な人?!」と言う文章を書きました。知人に見せたら「最初が専門的でわかりにくく、後になればわかりやすい事例が増えるので、最初と後を逆にした方が良いよ」と言われましたが、そこまでやると大変なのでそのままアップします!約1.2万文字あるので最後まで読んだ人に感謝!

ちょっと病的な人の方が成功してしまう理由。でかい夢を持てない人は健康な人?!
自己愛の障害―診断的、臨床的、経験的意義という分厚い本を読んでいて面白い文章があった。これは自己愛性人格障害について書かれた分厚い本だ。この本に面白いことが書かれている。自己愛というのは自分が特別、自分が大好きという感覚だ。誰しもが持っている。それが病的に進むと「自分こそ特別で他者はどうでも良い」になる。それについて書かれた本だが、そこに簡単に言うと「ちょっと病的に自分が好きな方が成功する」という文章があった。ただし、それにはメリットもデメリットもある。まずこの本を紹介したい。


高揚した自己尊重:正常な自己愛をわずかに逸脱した領域 最適の結果を得るためには,正常範囲を逸脱してはいるがその人の置かれた状況下では適応的といえる程度の高揚した自己尊重―あるいは誇張された確固たる信念が必要となる一般的な人生上の局面および種々の職業上の場面というものがある。その限りにおいては,高揚した自己尊重は,真に病的なものとはいえない。

ほぼ拮抗した技量を有する二人の野心あふれたコンサート・ピアニスト,オペラ歌手,あるいはバレリーナがいたとして,その一方は引っ込み思案で自信がなく,他方はまだ観衆から喝采を浴びたわけでもないのに自信満々であるといった場合,高揚した自信を持ち舞台に立つ怖さにふるえていない方が成功する可能性は高い。こうした正常範囲をいささか逸脱した自己愛に恵まれていない行為者は,往々にして失敗しやすい。
自己愛の障害―診断的、臨床的、経験的意義29Pより

引用終わり
ロニングスタム・エルザ博士(1971年スウェーデンUmea大学卒業。1988年スウェーデンStockholm大学でPh.D.取得。1996年ハーバード大学医学部心理学助教授。同時に、McLean病院臨床心理士(人格障害プログラムおよび境界人格障害センター)、ボストン精神分析協会Advanced Candidate、アメリカ自殺予防基金委員、ボストン自殺予防研究班員などを併任している)がまとめた自己愛の障害という本によると、正常範囲を逸脱した自己愛を持っていたほうが成功すると書いてる。(なお、引用箇所はエルザ博士が監修を担当して実際の執筆は別の専門家が書いている)
ここではバレリーナなどが引き合いに出されているがビジネスの現場でも同じである。引っ込み思案の新人ビジネスマンと自信満々の新人ビジネスマンがいたらどっちが成功するか?それは自信満々のビジネスマンである。しかし、どちらも新人なので本来は自信満々のビジネスマンに根拠はないはずなのである。

普通の自己愛、自己尊重感を持っている状態では人生のある局面で失敗しやすい。つまり、ハーバード医学部心理学で助教授まで勤めた人が「多少病的に自分が好きなほうが成功しやすい」と言い切っている。コーチングのアファメーション、高いエフィカシー、根拠の無い自信というのは正常な人が「ちょっと病的な自己尊重状態。しかし、それがないと突破出来ない局面を作り出し乗り越えていく手法」と言えるかもしれない。

自己愛というのは簡単に言えば「自分が特別で自分が可愛い」という概念。それは誰しも持っているが、これが過剰だと「自分を満たし自分を愛してくれることが至上目的」となる。そういう人は「結局誰からも尊敬されなくなり自分も愛されなくなる」のだが、普通の人はそこで反省し、自分のダメな部分を修正する。病的な自己愛になると「自分が愛され、特別扱いされないのは自分以外の誰かが悪いからだ」となる。こういう人がおそらく、ネットで暴言を吐くようになり、最終的に犯罪者になってしまうのだろう。

では誇大な自己愛はどのようにして産まれるのだろうか?それについて書かれている本で面白いのが岡田尊司さんの自己愛型社会という本。(岡田尊司さん 1960年香川県生まれ。精神科医、医学博士。東京大学哲学科中退、京都大学医学部卒業。同大学院高次脳科学講座神経生物学教室、脳病態生理学講座精神医学教室にて研究に従事。京都医療少年院勤務。著書に『人格障害の時代』(平凡社新書)、『パーソナリティ障害』(PHP新書)がある。)

この本には病的な自己愛のプラスの側面とマイナスの側面が更に突っ込んで書かれている。それは万能感というキーワードによって書かれている。コーチング風に言えば「私は絶対にゴールを達成出来る」という根拠なき思い込みを万能感と読み替えてもいいだろう。誇大自己と万能感という章で岡田尊司さんは病的な自己愛、誇大な自己が産まれる原因をこう書いている。


誇大自己と万能感 「自己愛の心理学に新たな地平を切り開いたアメリカの精神分析医コフートは、自己愛はその発達段階において、二つの中間産物を経ると考えた。誇大自己と理想化された親のイマーゴ(無意識的心象)である。誇大自己とは、自分を神のように万能だと錯覚した存在である。親のイマーゴとは、神のように何でもでき、自分の望みを叶えてくれる畏怖と尊敬の対象である。その原形は、子供の願いを何でも叶えるが、ときには怒れる神のように罰する母親である。

それらは、さらに発達を遂げるにつれて、自尊心や理想といった、より成熟し、昇華したものに高められていく。

ところが、その中間段階において十分な満足が与えられなかったり、逆に、過剰な充足が続き過ぎると、成熟が損なわれ、いつまでも誇大自己や親のイマーゴが、その人の心に居座ってしまう。その人は、大人になっても、子供のように注目や賞賛を集める行動をとったり、褒めてもらおうとする。あるいは、誰かを過度に理想化したり、誰も尊敬できなかったりする。こうした状態が行き過ぎたものが自己愛障害である。自己愛性というものの、もっとも大きな特徴は、根底にある誇大自己の性質によっている。そして、誇大自己の際だった性質の一つが万能感である。

引用終わり
このように誇大な自己、自分の根拠なき万能感は「幼い頃に過剰に愛された過保護」か「幼い頃に愛されなかったか」が原因だと岡田尊司さんは書いている。これは面白い視点で、誇大な自己愛、自分が好きで好きでたまらない人と言うのは一般的なイメージだと「甘やかされて育った過保護な人」という物だ。しかし、親にあまり構ってもらえず、子どもの頃にほどよい挫折を味合わなかった人も挫折の経験の無さ故に「私は凄い人の筈だ!」という想いを抱えることになるというのだ。

子どもの頃の万能感は素晴らしいものがある。か弱く、歩くことも出来ない。それでも自分は歩けるという信念を持ち、ハイハイから二足歩行へ移行する。まったく言語が理解出来ない状態から言語を習得していく。0〜3歳まではその躍進が素晴らしい。その躍進を支えるのは子供が「自分は歩けるようになるかな?」「自分はちゃんと喋れるかな?」という不安が一切無い「根拠なき万能感」のお陰だろう。

その万能感は親子のコミュニケーションによって徐々に現実的な物になっていく。いつまでたっても過保護なままだと「万能感の挫折」がない。また、親子のコミュニケーションが少ない、安心と挫折を適度に提供されないとやはり「万能感の挫折」がない。このような子供は万能感を持ったまま成長して行く。

不思議なのは親に愛されなかった子供も「「万能感」を引きずる場合があると言うことだ。幼い頃に親に適切に愛されなかった子供に起きる障害を愛着障害というのだが、愛着障害をもった子供が大人になると「誰にも愛されなかったので自分で自分を過剰に愛して防衛するようになる」と言うパターンが見られる。(ただし、これについては私がこの問題について色々勉強してる中で本を読んで出てきただけなのでもう少し勉強する余地がある)

このパターンについて書かれているのは岡田尊司さんの別の本だ。


誇大自己と大きな願望 自己愛の心理学を確立したコフートによると、誇大自己の願望がほどよく満たされ、またほどよく挫折を味わうことで、 よりバランスのとれた段階へと成熟していく。しかし、何かの理由で、急激に挫折を味わうと、誇大自己の段階にとどまり 続けてしまうのである。それは、まさに愛着障害で起きることに他ならない。

ふつうの人は、成長するとともに、自分の限界を知ることで、現実との間に妥協が成立し、身の丈サイズの自己愛へと収 まっていく。ところが、誇大自己が残ったままの愛着障害の人は、誇大自己の願望を、現実とは無関係に膨らまし続けることで、傷ついた自己愛を保とうとするのである。ただ、それが大きな理想を実現し、逆境をはねのける原動力となっている側面もある。

しかし、それは両刃の剣でもある。大きな願望を抱き、自分を特別な存在とみなすことは、何人もなしえない偉大な業績を成し遂げることにもつながるが、反面、厳しい現実を余計につらく感じ、社会への適応を困難にする場合もある。
岡田尊司さん 愛着障害より
いずれにせよいかに子供時代の親子関係(特に母親との関係)が重要かという事が思いしらされる。

では、誇大な自己、万能感を持ったまま育つとどうなるのだろうか。それにはメリットとデメリットがある。岡田尊司さんの自己愛型社会を引用する。
幼い万能感は、ほどよく満たされつつ、同時に断念させられることによって、現実との折り合いをつける術を学んでいく。大人になる頃には、たいていの人は自分がスーパーマンではないことを身にしみて知っている。

ただ、すっかり誇大自己の万能感が消え去っているわけではない。
若いうちは、万能感がまだ色濃く残っている。だからこそ、無謀ともいえるチャレンジにも飛び込んでいける。振られようと、愛する人にアタックすることもできる。コロンブスが大西洋を横切って新大陸を発見できたのも、人類が月面に降り立てたのも、この万能感のなせる技である。しかし、それらの成功は万能感を現実化するだけの十分な裏付けと幸運がもたらしたものであった。華々しい成功の陰には、裏付けのない万能感に酔ったがゆえの無数の失敗や悲劇がある。万能感は、パワーの源泉ともなる代わりに、破滅の原因ともなるのである。

その危険は、万能感の本性からも来る。万能感は満足を知らないのだ。もっともっとと際限なく膨らんでいき、やがて現実と遠く隔たってしまうのである。

現代の若者たちの一つの特徴は、現実感の乏しい万能感を抱えていることである。外見的には青年や大人の顔をした者にも、幼児的な万能感が温存されている。それが、家庭内暴力や、思いも及ばないような犯罪につながっているケースも多いのである。

引用終わり
ここにも書かれているようにコロンブスが大西洋を横断出来たのも、人類が月面に降り立ったのも根拠なき万能感のお陰である。なぜならば根拠なき万能感なくしてはそのような挑戦が出来ないからだ。起業家で言えばスティーブ・ジョブスも有名だが、彼も根拠なき万能感を持っていた。そうでなければあそこまで圧倒的な挑戦と勝利は果たせなかっただろう。日本人であれば孫正義さん。彼も常に挑戦し続ける人である。彼が率いるソフトバンクグループの華々しい挑戦の裏に隠れてあまり有名ではないが、ソフトバンクグループの有利子負債は18兆円以上もある。18兆円以上もの借金を抱えて、それでも自分はまだまだ出来る!と信じれる自信はおよそ一般人には存在しない物だ。

このように根拠なき万能感は人を挑戦に駆り立て成功へと導き、時に歴史を大きく変える程のインパクトをもたらす。その例は岡田尊司さんの愛着障害にも書かれている。
偉大な人物には、愛着障害を抱えているケースが少なくない。生まれてすぐに母親を失った釈迦、生まれる前に父を失い、幼くして母を失ったムハンマドといった宗教的カリスマをはじめ、政治家や文豪、芸術家や思想家、社会活動家や革命家など枚挙にいとまがない。

なぜ彼らは、多くの困難を抱えながら、常人にはなしえない偉大な功績を残すことができたのか。なぜ高邁な理想を実現 したり、誰にもまねのできない作品を生み出すことができたのか。

そのことと、深く関係していると思われるのが誇大自己である。誇大自己は、幼い時期にみられる自己愛の一形態である。自らを神のように偉大な存在と感じ、万能感や自己顕示性、また思い通りにならないときに表れる激しい怒り(自己愛的怒りと呼ばれる)を特徴とする。
誇大自己、根拠なき万能感についてのメリットとデメリットはここにも書かれている。すさまじい偉業を成し遂げるということは前人未踏を成し遂げるという事でもある。前人未踏というくらいなので根拠などないのである。それを乗り越えるためには「根拠など求めてはいけない」のだ。「私ならやれる!」という根拠なき万能感が必要なのだ。コーチング風に言えば現状を超えたゴールを信じられる高いエフィカシーという物だろう。
しかし、デメリットも書かれているように万能感は暴走すると人生を失敗させる原因になりかねない。

例えばメリットでコロンブスが上がっている。では、その時代においてコロンブスだけが根拠なき万能感に酔って偉業に挑戦したのだろうか。その時代においてコロンブスだけが何らかの理由で誇大自己を持ち、万能感に突き動かされたのだろうか。コロンブス以外の人類は「正常な自己愛」を持っていたのだろうか。そう考えるのは非現実的だろう。コロンブス以外にも挑戦した人達はいるだろう。その人達はどうなったのだろうか?おそらく海の藻屑となって歴史からも消えていったのだ。

500年近く前のコロンブスに話を持っていかなくても今の日本を見渡せばすぐわかる。孫正義さんは大成功を収めている。借金18兆円も成功と言えば成功だ。そこまで資金調達出来ること自体ものすごい「偉業」である。

しかし、誰もが成功するわけではない。私も経営者をやっているので分かる。例えば東京商工リサーチによると2018年に倒産した企業の件数は8,235件、負債総額は約1.5兆円である。2017年は8,405件が倒産しその負債総額は約3兆円である。その2年間だけで約1.6万件の会社が失敗し、負債は約4.5兆円にも上る。1社あたり約2.8億円もの負債を抱えている。これらの社長達の多くが自己破産をしているだろう。
1952年(昭和27年)~ 全国企業倒産状況 東京商工リサーチより
http://www.tsr-net.co.jp/news/status/transition/
私が計算した限り、平成元年から平成30年までの30年間の倒産件数は398,942社、負債総額は約228,990,905百万円(約228兆円)というとんでもない数字になる。なお、これらは東京商工リサーチによって把握されている数字だけを計算しているので実態はもっと多い可能性がある。
では、起業する人間がこのような数字を冷静に分析するだろうか?少なくとも私は全くしたことがない。起業などと言うハイリスクな挑戦は何かしら根拠を持っていては出来ない。日本全体で見ればこのような起業家の挑戦は失敗だとしても意味がある。少なくとも経済を活性化させただろう。

誇大自己によって産まれる万能感はメリットもあればデメリットもある。時に大きな挑戦を成功させる。そして、多くの場合は失敗を味わう。しかも、この挑戦をし、成功をさせていくためにはハーバード医学部の助教授が「正常な自己愛をわずかに逸脱していた方が良い」と言っている。

では成功するための「わずかな逸脱」とはどれくらいなのだろうか?という事に興味がいく。しかし、これは最初は「わずか」だがエスカレートしていく構造を持っている。そもそも、誰かが「わずかに逸脱した自己愛によって産まれた根拠なき自信・万能感」で成功した場合、競争相手はそれよりも「わずかに逸脱」する必要がある。それをみた相手はさらに「わずかに逸脱し・・・」というエンドレスゲームになる。結局、最終的には究極的にまで自己愛を暴走させ、根拠なき万能感で暴走しきる事になる。

おそらく、人類の根拠なき万能感と誇大自己が暴走しきる前に地球が持たないだろう。原発が爆発するか、核戦争か、環境破壊か何かで人類は終焉を迎える。「拡大」「発展」「成長」「進歩」「向上」といった万能感を追求する人類の欲望は無限である。しかし、地球資源は有限である。耐えられるわけがない。もっと豊かに、もっと幸せに、と言う目標の追求、そしてそれを追求出来ると確信する根拠無き自信が地球を滅ぼしかねない。

病的な自己愛とどう付き合うか?病的な自己愛傾向を持つ人はどんな人か?
病的な自己愛のメリットとデメリットを書いてきたが、おそらくこれはなかなか治るものではない。ではこの病的な自己愛とどのように付き合って行けばいいのだろうか。病的な自己愛が最終的に暴走を招き、破滅させるデメリットを持っているなら、どのようにそれを避けていけばいいのだろうか。

病的な自己愛を持っている人の特徴は「他者への共感性の欠如」である。よく不倫報道や麻薬報道があると過剰に相手を叩く人がいる。自分の旦那や奥さんが不倫したから反撃のために攻撃するのはわかる。それは人の自然な心の動きだ。友人が不倫をしていたら「ちょっと無いわ〜」と思って距離を取る。それも人の自然な心の動きだ。しかし、全く関係ない人が不倫してとにかく攻撃しまくる人がネットにいる。これは一体何なのだろうか?

全く関係無い人が不倫をした

というニュースを見て「まあ、いやねえ」と井戸端会議で話題に出す程度ならまだわかる。それはプライベートの延長線上で閉じた空間だ。ネットで書くと言うのは井戸端会議を超えて近所にスピーカーで「あの人不倫しました!いやねえ!」と叫び続ける行為に近い。よく、誹謗中傷をした相手の気持ちを考えましょう、という意見が見られるがまさに「誹謗中傷をした相手の気持ちなどどうでも良い」と思えるのが他者への共感性への欠如である。(また、このように指摘すると誹謗中傷していい正義の理由を過剰に書いてくるのも特徴である)

こんなことを書いてしまうと嫌がる人もいるが、私は安倍晋三首相に対してたまに同情的になる。(私は自民党がどちらかというと嫌いだ)何をやってもダメ、マスコミで袋だたきにされる。悪口は言われる、人格は否定される。罵詈雑言の嵐である。私は安倍晋三首相が素晴らしい人格の持ち主だとは思わないし、消費税増税などは愚策だと思うが、それにしても匿名の誹謗中傷は品位を欠いている。

安倍晋三首相の失策は数多くあるが、何故そのようなことをしてしまったのか?どうしてそんなことをしてしまったの?という安倍晋三首相への共感性がなければ安倍晋三首相はますます殻に閉じこもるだろうし、最終的には爆発するんじゃ無いか?と思う。安倍晋三首相は公人だから仕方ないという意見もあるが、私人がネットの罵詈雑言の嵐に晒されることもある。私にだって晒された時があった。

他人がどう思ってるか、自分の発言を聞いてどう感じるか、共感性への欠如は誇大自己、病的な自己愛を持っているかどうかの良い基準になる。そして、病的な自己愛を持っている人は自分が攻撃するときは共感性への欠如を示すが、自分が攻撃された場合は「人権侵害だ!」と叫ぶ。自分が攻撃していいが、他人から攻撃されるのは絶対に我慢出来ない、と言うのも病的な自己愛を持っている人間の特徴である。

そして、病的な自己愛傾向があるかどうかを示す現代的な指標がある。それはSNSやブログを過剰に更新しているかどうかという点だ。病的な自己愛を持っている人は自己顕示欲が強いのでとにかくSNSやブログなどで称賛を求める。つまり、俺かよ!(笑)

その通りで、私は中学校で不登校をしたがその際に「学校の先生がいじめるから学校には行かない。しかし、学校の先生より頭がいいのを証明するために私をいじめた先生の数学の科目で学年一位をとる(そして実際にとった)」というエピソードの他にも、18歳で大学に進学し、新聞部を自ら立ち上げ、最初に書いた記事が「ジョブレスリカバリー雇用無き景気回復時代に私達大学生はどのように勉強するべきか」である。たかだが18歳が書くにはあまりにも遠大な話題である。そして、実際に私の記事通り派遣労働者が増えて、日本人の平均年収は下がって、自分が就活するときは私の予想通り就職氷河期となった。就活の際には「夢を叶えるために3年で年収1,000万を超える」と決めて、実際にそのようにしてしまった。中学校、大学、就活、全てにおいて根拠など何も無かった。

SNSやブログの過剰更新以外にも私は人生において「根拠なき万能感」に突き動かされて生きてきた自信がある。これを書いている私自身が病的な自己愛傾向がある。なんてこったい!そんな私だからこそ自己啓発にハマったし、もっとでっかいことをしたいと思い続けてきた。
病的な自己愛とどう付き合うか?自己啓発から社会啓発。他者への共感性と他者への寄付。

ついついどでかいことをやってしまい、なおかつ更にでっかいことをやりたくなってしまう人間はどうしたらいいのだろうか?解決策は簡単である。

でっかい夢なんて捨てたらいい。ほどほどに生きればいい。誇大な自己、根拠なき万能感によって支えられた夢など捨てたらいい。現実的になり、普通の生活をすればいい。自分を主人公などと思わず、自分自身が社会の一部であり、全体の一員に過ぎないという事を受け入れればいい。そうすれば暴走することもないので病的な自己愛が暴走することも無い。

ただ、残念ながらそうはいかない。普通とは違う自己愛傾向がある人間は「自然とデカい夢・目標を持ってしまう」のである。コーチングや自己啓発でよく「大きな夢を持とう」と言われる。そして多くの人の悩みは「大きな夢を本気で持てない」と言うものである。

大きな夢を本気で持てない人は安心したらいい。あなたは健康なのだ。今の暮らしに満足しているならデカい夢など持つ必要は無い。まして、デカい夢を持っている人と自分を比べて落ち込む必要など無い。デカい夢を追い掛けている人はちょっと病的な人なのだ。

病的な人は「普通の夢」が持てないのである。ほどほどがいやなのである。これはとても苦しい。常に自分は特別の筈だ、と思っているので普通に暮らしていても不満がたまる。無意識レベルで不満がくすぶっている。そういう人は世間的に見て成功していようがしていまいがいる。

むしろ、世間的には成功していなくて普通に見えるが「自分は特別の筈だ」という想いを抱えている人の方が多いだろう。そういう人が自分を省みて反省し、自分が普通の人だと思うなら正常である。あるいは、自分の特別感に現実を合わせようと動き出すならまだマシである(ただし、暴走の危険はある)。自分の特別感は持ち続けたまま、他者を攻撃するようになるとこれはもう完全に病的な自己愛である。

病的な自己愛傾向がある人が「やっぱり自分は普通の人だ」と諦められたらそれは健康になった証拠である。「自分は特別だ」と思っているなら、病的な自己愛傾向がある人は他者への共感性を通常の人よりもより多く意識した方が良い。

誇大自己、自己愛の強い人は世間で成功してしまう可能性が強い。そうすると人はそれをもてはやす。そうするとますます自己愛が大きくなって暴走していく。これは大変危険である。自分が仮に成功したとしてもそれは自分だけの力では無い。

ありきたりな言葉になるが常に感謝の気持ちを持ち、ありがとう、とそれを態度と言葉で示す事が重要である。それはAmazonで注文した荷物が届いたときに配達員の人に「ありがとうございます」と言えるかどうかにもかかっているし、雨の日にAmazonの荷物を運んでくれた人に「雨の中ありがとうございます」と心から思えるかどうかと言う些細なことでもある。

そして自己愛によって挑戦し、成功して金銭的な何かを手に入れたなら必ずどこかに寄付することが重要である。自分が大人になって成功できたのはなぜか?それは自分が挑戦できた社会が存在しているからである。社会は自分だけでは存在し得ない。そうであれば挑戦させてくれた社会自体に対してありがとう、と心から感じて何かしらの形で寄付をするのは大切なことである。

他者への共感性を忘れて自分が凄い、自分が偉い、自分が大好き、だけで突き進んでも成功してしまえるのが誇大自己、根拠なき万能感である。冒頭に紹介した自己愛の障害にも書かれていたように
高揚した自己尊重:正常な自己愛をわずかに逸脱した領域 最適の結果を得るためには,正常範囲を逸脱してはいるがその人の置かれた状況下では適応的といえる程度の高揚した自己尊重―あるいは誇張された確固たる信念が必要となる一般的な人生上の局面および種々の職業上の場面というものがある。その限りにおいては,高揚した自己尊重は,真に病的なものとはいえない。
自己愛の障害―診断的、臨床的、経験的意義29Pより
正常な自己愛をわずかに逸脱した方が成功するのである。しかし、このわずかな逸脱はいずれ暴走する可能性が高い。それ故、他者への共感性を意識する必要がある。

根拠なき万能感、自己愛は人類が挑戦するために必須の条件である。しかし、それは暴走すると破滅を引き起こす。人間が自己愛を捨て、挑戦をやめれば問題はなくなるのかもしれないがおそらくそれは不可能だ。そうであれば誰もが持っている自己愛とどのように付き合って行くか、を考えた方が良いだろう。

特に、自分が特別だと思ってしまい、普通では満足出来ない人こそちゃんと意識した方が良い。また、普通で充分じゃないか、と思う人はでかい夢を持っている人と自分を比べて落ち込む必要など無いという事を知って欲しい。あなたは健康なのだ。それでも自己啓発やコーチングによって「ちょっと逸脱した自己愛・自己尊重感・根拠なき万能感」が欲しい健康な人は、他者への共感性を意識し続けることが重要だと伝えたい。

○○障害と言われる社会に対して思う事
人類に挑戦をうながしてきた心の原動力まで「自己愛」と分析され、それが行きすぎると「自己愛性人格障害」とか「自己愛性パーソナリティ障害」という風に名付けられる現代社会はすごく不思議である。その内「凡人性普通人格障害」とか産まれるんじゃ無いだろうか。結局の所それは障害なのだろうか?確かに病的で社会に害を及ぼすのは良くないと思うけど、治療するという観点より、そういう自分と共存する、そういう人達との適切な距離感を持とうという視点も大切なのじゃ無いかなあ。○○障害と言われる人の気持ちに立つとそんなことを思ってしまった。

最後にオマケ
できれば私がいつもオススメしている著者の本を買ってAmazonに高評価を書いてあげて欲しい。特に、その著者がイベントなんかを開こうとしてるならシェアとかして応援してあげて欲しい。本から学ぶだけでは無く、本を書いてくれた人に対する感謝を伝える素晴らしい行為だと思う。今日も読書!

この文章書いてる私も自己愛が強いし、仮にこれを読んだ第三者が文章の内容が気に食わず、公然と私がどう受け取るか考えずに攻撃してきたらその人もやっぱり自己愛が強い。自分にも相手にも無限にブーメランが投げ続けられる(笑)おそろしや。

追伸

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一月万冊 清水有高(しみずゆうこう)滋賀県出身。元不登校児、母子家庭育ち。ビ・ハイア株式会社代表取締役。滋賀県立大学人間文化学部卒業。ベンチャー役員、上場企業役員などを経験し投資家、経営者として活動中。東京大学を始め各種大学で講演多数。読書を経営に活かし自己資本比率70%の会社を経営。8年間でスタッフ1人あたりの営業利益を100倍以上にする。読書を通じて色々な可能性をみんなに伝えていきたくてこのチャンネルを運営中。月1,500冊以上の読書をして、それとは別腹で漫画も毎月数百冊読む。趣味はパイプ、葉巻、写真撮影、旅行、喫茶店&本屋巡り。

2018年にとても悲しいことがありうつ病に。2年近い闘病を経てその期間はYouTubeもかなり休みがちになりました。最近ようやく少し元気になり、YouTubeなどの活動も再開しています。
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清水 有高Yukou Shimizu

ビ・ハイア株式会社 代表取締役

一月万冊 清水有高(しみずゆうこう)滋賀県出身。元不登校児、母子家庭育ち。ビ・ハイア株式会社代表取締役。滋賀県立大学人間文化学部卒業。ベンチャー役員、上場企業役員などを経験しコーチ、投資家、経営者として活動中。東京大学を始め各種大学でも講演多数。コーチングと読書を経営に活かし営業利益1億円以上、自己資本比率70%の会社を経営。8年間でスタッフ1人あたりの営業利益を100倍以上にする。

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