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2019.10.23 WED - 速読多読コーチング

コーチングで幸せになれないならコーチング以外で幸せになればいい。こだわる必要は無い

「コーチングで幸せになれないならコーチング以外で幸せになればいい。こだわる必要は無い」という文章を書きました。コーチングというやりかたで幸せになれなかったら別のやり方を試せばいい。幸せになることが目的でコーチングという手段を選んで上手く行かなかったら、別の手段を試せばいいじゃ無いか。

そんなことをこの前のライブで話しました。

皆さんがコーチング学ぼうとした目的はコーチングを学ぶことが目的でしたか?違いますよね?幸せになりたい、成長したい、というのが目的だったはずです。コーチングは手段だったはずです。コーチングに限らず、自己啓発や何かのスキルを学ぶ人も同じではありませんか?

幸せになりたいという目的の為に一つの手段を学び・試した

わけですよね。

そしたら予測される結果は二つです。

結果A 試した結果上手く行ったからその手段を続ける
結果B 試した結果上手く行かなかったからその別の手段を見つける

上手く行ったら続ける。上手く行かなかったら別の方法を試す。

これが健全な状態だと思います。

上手く行かないけど、自分の努力不足が悪い。だからもっとこの方法を突き詰める。

と考える人もいるかもしれません。しかし、そういう風に考えた時点でコーチングはあなたに向いていないかもしれません。

コーチングは「常に幸せである」ことが重要です。例えしんどいことがあっても、自分がやろうと決めたことなのだからその気持ちに責任を持ち、しんどいかもしれないけどそれを乗り越えている自分が好き、嬉しい、幸せだと感じるの方が高い、という事が重要です。

辛くて苦しいけど自分の努力不足なのだから、と考えてる時点であなたはコーチングに向いてないし自尊心も失っています。なにより幸せではありません。別の方法を試した方がいいかもしれません。(それでも私はやりたい、と思う人がいるなら私は止めません)

ただ、あなたがコーチングを学んだのは「幸せ」になることが目的では無かったでしょうか?

私はうつ病になってその状態ではコーチングがうまく機能しないという事がわかり、別の手段・方法を探してなんとかなりました。

私はうつ状態で苦しくてネガティブな事ばかり考える負のスパイラルを良くしたいと思いました。これがが目的であって、そのための手段の一つとしてコーチングを試したけど上手く行きませんでした。

もし、ここで私が手段にこだわっていたら?もっと辛くなっていたかもしれません。

良くなる事、幸せになる事が目的ならコーチングという手段にこだわる必要は無い。

こんな風に私が思ったきっかけは、うつ病になってとても辛くて(48時間寝れないとか)自分が治りたくて色々とうつ病関係の本を300冊ほど読んだ時の気づきがあります。

その気づきとは現代の医学・科学の限界です。

精神病の本を沢山読んだ結果、現代医学ではうつ病を100%治す方法はないという事がわかりました。100人うつ病になったらそれぞれにうつ病になった背景があり、苦しみがあります。

うつ病になった原因は人それぞれです。心という現象はとても複雑で、現代の科学・医学では全て解明できていません。だから「こうすれば万人が必ず良くなる方法」というのは存在してないのです。

これを知ったときに私は絶望しました。

自分の病気は治るかどうかわからない。この苦しみが一生続く可能性もある。

うつ状態に陥ってるときに、なんとかそれを解決しようともがき苦しんで読書した結果、待っていたのは現代の医学・科学の限界でした。

私はこれを否定したかった。私は問題があるなら正しいアプローチをすれば解決するはずだ、と信じていました。それで沢山本を読みました。

その結論が

「良くなるかもしれないし、良くならないかもしれない。人による。症状による。ケースバイケースです」

という事だった時の絶望感。私は辛すぎて死のうと思いました。おそらく、殆どの人はうつ状態でそんなに読みません。辛いまま精神科医、心療内科医にいくのだと思います。ただ、私はよくも悪くも沢山読みたい人だったので勝手に絶望してしまいました。

しかし、その時に私はこう思いました。

「限界がそこにあるならそれを受け入れて最善を尽くすしかない」

という事です。私はこの考えを受け入れるのが嫌でした。なぜなら私は限界は超えていくものであり、問題は解決できるものだと信じていたからです。

ただ、ズタズタになった私の心はそのように考えるエネルギーを持っていませんでした。私は今までの考え方を捨てて

「良くなるかもしれないし、良くならないかもしれない」

というものに身を委ねることにしました。以前の私なら

「絶対よくなるという確信を持つ!」

と思ったはずですがそれは当時の私には無理でした(この考え方自体が非常にコーチング的です)。もし、私が無理をしてその確信を持とうとしたら、辛すぎる心が悲鳴をあげて死んでいたと思います。

世の中には絶対は存在しないし、現代の医学・科学には限界があるなら最善は尽くすが自然の流れに委ねるしかない。まさに人事を尽くして天命を待つという感じです。

こうなったときに私のコーチングに対する考えが変化しました。

コーチングだって数ある方法の1つに過ぎない。それにこだわる必要は無い。

という事です。

私はコーチングをルータイスという人に教えてもらいました。ルータイスのアファメーションという本はいまでも好きです。しかし、ルータイスのアファメーションという本には

「この方法が人間が成長向上する絶対の方法であり他は存在しない」

とは書いていません。

コーチングを実践したいならすればいい。したくないならしなくていい。こんな単純なことに気付きました。

いつのまにか私は「コーチングを実践する事」が大前提として動いていたような気がしました。まさに手段が目的化していたのです。

私はそのこだわりを捨てました。そうすると現代の医学・科学で最善を尽くそうとしているお医者さんの意見を聞くことが大事であり、そういうお医者さんに出会うことが大事だという事になります。

最善を尽くしてくれるお医者さんを探す

が今度は目的になります。これを探すのも一苦労なのですが、最善を尽くす人を探すのは「絶対良くなる方法」を探すよりもかなりハードルが低いのでなんとかなりました。このあたりの探し方とかエピソードもいつか書きたいです。

この時「絶対良くなるという確信を持つ」「自分は凄い。自分には価値がある」という無理な考え方を私はしなくなりました。

「私は死にたくて仕方ない。けど、病気だから仕方ない」
「私は辛くて苦しい。でも、病気だから仕方ない」

と現状を受け入れることにしました。そうすると

「まあ、仕方ない」

と心が楽になり、治療に専念することが出来ました。

一つの考え方を捨てた結果、新しい考え方が入ってきてそれは私を楽にしてくれました。

捨てる神あれば拾う神あり

です。コーチングという一つの手法から手を離した結果、新しい考え方が入ってきて私を楽にして救ってくれたのです。

私はこの時の気づきと経験をシェアしたいと思いました。というのもコーチングという手段にこだわりすぎていて、それ自体が目的化していて、逆に辛くなっている人が多いと感じたからです。実際にそういう人が私に沢山相談しにきます。

コーチングを実践していてなんだか良くならない、と言う人は別の手段を試してもいいのでは無いでしょうか?少なくともその方が視点が高いし自由ではありませんか?

私は一つの考え方にこだわるよりも、時には考え方を捨てて新しい考えを受け入れる自由さや柔軟さを持ちたいと思っています。読書もそのためにするものだと私は思っています。

ただし、これはとても辛い考え方です。一つの考え方が絶対であり、その考え方にすがる方がある意味楽だからです。私は10年コーチングを徹底的にやりました。だから私はコーチングから手を離すのはかなり勇気がいりました。

それでも最後は私自身が「読書をして知識を増やし自由になりたい」という想いが「何か一つの考え方を絶対だと思ってそれにすがる」というこだわりに勝ちました。

うつ病が良くなる万人に効く絶対の方法というのがないのと同じで、人が幸せになる絶対の方法はありません。それは人それぞれ違うはずです。

勿論、こうすれば良くなるかもしれない。こうしない方がいい、という大体の目安は存在するでしょう。ただし、それすらも目安に過ぎません。当てはまる場合もあれば当てはまらない場合もあります。(現代の医学・科学では限界はありますが、それなりに考察された治療方法というのはあります。それを一概に否定する物ではありません。)

結局自然というのはもの凄く複雑に出来ていて、そこに生きる人間の心も複雑です。その人間が幸せになる方法なんて画一的に存在はしないのです。

人それぞれがその人の人生の中で学び、行動し、時に失敗して、それでも学んで行動していく中でなんとか見えてくるかもしれないものだと思います。

何万冊という本を読み、コーチングも10年徹底的にやり、人の何倍も働いた結論として得たとりあえずの答えは

人生は複雑。よくわからん!最善を尽くすしかない。

という平凡なものでした。しかし、この平凡な考えが私にとってはものすごく光り輝いています。私にとってはこれが光り輝く考え方です。ただし、他の人にとっては違うかもしれません。

ただ、この複雑な世界の中で「自分の人生が上手く行く方法論はこれだ!」というこだわりが生まれてしまうと生きづらくなってしまいます。これだ!と見つけてある程度やってみて苦しかったら別の方法試してみるか〜と肩の力を抜いてみてほしいです。

私のところには未だに「コーチングを実践してるけどなかなか上手く行かない。どうしたらいいか?」という相談が来ます。

コーチングを続けていて辛いなら別の方法を試したらいい

と私は思います。辛くて苦しいなら続け無くていいじゃ無いですか。

コーチングの開祖であるルータイスも「したいという気持ちに責任を持つ」と言っています。あなたが本当に「辛くても苦しくてもやりたい」ならやればいいのです。

やりたくないならやらなければいいのです。やりたくないと思う自分を根性無し、と責める必要はありません。そして、今の方法をやらなくても別の方法で上手く行くかもしれません。その可能性を捨てないでください。

手段が目的化するとしんどいですよ。

結婚や恋愛も幸せになるための手段に過ぎないのに、結婚や恋愛を維持することが目的になっている人がいませんか?

勉強も同じです。勉強することによって向上し幸せになっていくことが目的なのに、辛くて辛くて不幸なのに勉強を続ける事が目的になっている人はいませんか?

人間というのは不思議なもので単体では無く組織でも同じように手段が目的化することがあります。

例えば国家。国家は何の為に存在するのでしょう?憲法に縛られた範囲の権力で国民を守り、国民の幸せのために存在する。それが目的の筈です。しかし、私が診る限り国家はその目的よりも「組織が存在する事」が目的になっています。国民の幸せのために手段として生まれた国家のはずなのに、手段が目的に入れ替わっているように見えます。

国家レベルになると複雑ですが、友人関係ではどうでしょうか?友人は何故あなたにとって必要なのでしょうか?友人といて楽しい、一緒に遊ぶと面白い、辛いときに一緒にいると支えになるなどがではありませんか?でも、知らない間に「友人関係を維持すること」が目的になって生きづらくなっていませんか?

知らず知らずの間に手段と目的が入れ替わってしまうのは人間一人でも良くあり、その人間が多数集まる組織でも良くあることです。

自分が不幸になっても辛くなってもいいから一つの考えにこだわりを持ちたい

と言う人はあまりいないと思います。もし、あなたが何か(私の場合はコーチング)にこだわっていたらそれを捨てて別の方法を試してみてもいいのでは?と思ってこの文章を書きました。

今日も読書。

写真撮影 烏賀陽弘道


写真撮影 烏賀陽弘道
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清水 有高Yukou Shimizu

ビ・ハイア株式会社 代表取締役

一月万冊 清水有高(しみずゆうこう)滋賀県出身。元不登校児、母子家庭育ち。ビ・ハイア株式会社代表取締役。滋賀県立大学人間文化学部卒業。ベンチャー役員、上場企業役員などを経験しコーチ、投資家、経営者として活動中。東京大学を始め各種大学でも講演多数。コーチングと読書を経営に活かし営業利益1億円以上、自己資本比率70%の会社を経営。8年間でスタッフ1人あたりの営業利益を100倍以上にする。

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