2018.05.01 TUE - 速読多読コーチング
自信の持ち方。全てを自己責任で片付けるのはあまりにも暴論だけども、全部他人のせいにしてもそれは自分の人生にとって無価値。
論語風に言えば親の三年の愛であり、心理学者のミルトンエリクソンはこれをベーシックトラストと言ったとか。論語には親が死んだら3年の喪に服せ、という章があるけどこれは産まれた時、赤子の時に親から心からの愛情を0才から3年間注がれたら自然と親に愛情を持つようになり、その親が死んだら当然悲しくて3年くらいは喪に服したくなる。その当然の悲しみが出てこなかったらそれは子供の頃に愛情を注がれていなかったからであって、別に嫌々3年の喪に服す必要はない、と孔子は論語で語っています。実際孔子は親が死んだ宰我が3年も喪に服してられない、1年で十分ではないか、と宰我が孔子に言った時に孔子は『あなたがそう思うならそれでいい』と言っています。
この辺りの詳しい話は安冨歩東大教授の生きるための論語、と言う本を是非読んで欲しい。
生きるための論語 (ちくま新書) 安冨 歩
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あるいは私の下記のブログ
親孝行を子供がするものと思うのは論語の誤解でありカルト宗教みたいなものだ。東大教授と渋沢栄一が認めた親孝行は親の責任。
親孝行を子供がするものと思うのは論語の誤解でありカルト宗教みたいなものだ。東大教授と渋沢栄一が認めた親孝行は親の責任。
さて、この3年の愛を子供時代に注がれた幸運な人は自分の自尊心が高いのです。泣いた時に相手をしてもらい、お腹が空いたらすぐに愛情をもって食事を提供され、ウンチをしたらすぐにおむつを交換してもらう。どんな時でもニコニコ親に愛情を向けてもらい、例え親が仕事で疲れていようが何かでイライラしていようが赤ちゃんの前では一切それを出さない。そういう幸運な人は自分に対して『とにかく自分は愛された存在なのだ』と実感を持って育つ。口先の愛情、怒りを押し殺した愛情ではダメ。赤ちゃんはそういうのを敏感に察するのでそれらを一切廃した完全な愛情。
そういう愛情を注がれた幸運な人は少ない。親だって人間だしどうしてもそのようには出来ない。とはいえこのような幸運に恵まれた人は自分の事を基本的に信頼できるし愛することが出来るようになるので自信も持てるし、挑戦も出来る。失敗したとしても立ち直りが早い。
逆にこの愛が注がれなかった子供は条件付きの愛情しか感じられなくなってしまう。何かをしたからではなく、つまり条件付き承認とは無関係に、無条件で自分はOKだと思えなくなる。簡単に言えばいい子にしていたら愛されるのだ、と赤ちゃんの頃に覚えてしまうとこれがずっと大人になっても続く。
自信を持って発言できないとか、自分の失敗を許せない人と言うのは『嫌われたら愛されない』『失敗したら愛されない』と刷り込みが行われている。赤ちゃんの頃に泣いても、ウンチ漏らしても、相手の都合関係なくメシをくれと言ったらメシを食わせてもらえた事がないと、それが大人になっても続いてしまう。この赤ちゃんの頃の記憶は覚えていなくても強烈に刷り込まれている。
なんせ赤ちゃんの頃に親から嫌われるのは死活問題で、親に捨てられる=死ぬ、ので上司に嫌われるとか、恋人に嫌われる、友人に嫌われるよりも激しい恐怖を伴う。自信を持って発言できないとか、嫌われたら怖い、という事に過剰に反応する人は自尊心が高い人からすると『別にそれで死ぬわけでもないのに大袈裟な』と思うかもしれないけども、本人にとっては死の恐怖レベルで恐ろしい事なのです。
親に愛された幸運な人以外はそれを埋め合わせるために周囲に過剰に嫌われないようになりがち。他者に迎合して、自分を殺して・・・簡単に言えば親が喜ぶから結婚するとか、親や配偶者が喜ぶから出世するとか、そういう風に行動するようになる。社長の中でも社員が喜ぶからこうしてあげよう、ああしてあげようとやり過ぎて苦しんでる人は本当に多い。無条件に自分自身を愛された存在だ、と思えず、根拠なく自分に自信が持てないととにかくどうすれば愛されるのか、自分は認められるのか、と右往左往することになってしまう。
こういう人は「何かをしたから認められる」という条件つき愛情をもってしまうのでギブ&テイク的に見返りを無意識に求めてしまう。人間関係も、自分の人生も全てが損得勘定で動いてしまう。簡単に言うと褒めて欲しい、認めて欲しいから何かをする人は褒めてもらえないと相手を恨んでしまうのです。ただ、残念ながら嫌われないように、相手に認められようとしてもなかなか上手く行かず、無意識に恨みを溜め込んでしまう人の方が多い。そのような人が上手く人生を歩めるわけもなく成功からも遠ざかってしまいます。
こういう人は本当に多いのだけども、では、これを自己責任と言えるのでしょうか?親に愛されなかったのはお前のせいだ、お前がワガママを言って赤ちゃんの頃に親のことを考えずにメシが欲しければ泣きわめいて、所構わずウンコとオシッコをするような赤ちゃんだったからダメなのだ!!しかも自分のご飯代すら自分で稼がず結局食わせてもらってるじゃないか。自分がどれだけ迷惑をかけているか理解してちょっとは我慢しろ!と言うのはあまりにも暴論ではないでしょうか。
私はこのような暴論は絶対に許せません。しかし、それと同時に『親に愛されなかったから未だに自信が無くて成功出来ない』『親に愛されなかったから未だに人に合わせようとしすぎて辛い』という大人がいたらどう思うでしょうか?
例えばバイト先でとにかく相手に嫌われないように嫌われないように・・・と意識しすぎて人間関係が上手く作れない、あるいはストレスを溜めてしまってどうしても仕事が上手く行かない。そういう人がいるとしてそれを社会は許容するでしょうか?
あなたがお客さんでレストランでもコンビニでも行った時に接客に不満があるバイトがいて、そのバイトにクレームを言ったら『私は親に愛されなかったからどうしても自分に自信が持てなくて仕事が辛い。だから仕方ない』と言ってあなたは納得するでしょうか?残念ながら納得されることは稀でしょう。
職場でどんどん意見を言って、挑戦もして、失敗しても自分を愛してるから突き進める人達が沢山いるところに、どうしてもオドオドしてしまう・・・挑戦しろ!と言われても出来ない。意見を言えと言われても言えない。言ったとしても消極的なことしか言えないそんな人がいるとします。そういう人が『だって私は根拠無い自信が持てないのだから仕方ない。意見を言えと言われても出来ないし、挑戦しろと言われても出来ないのです。』と言って認められるでしょうか?残念ながらこれも認められないでしょう。
この社会で生きていく時に辛いのがこの矛盾です。例え自分のせいで自信が持てないわけでも無いのに、社会に出るとそれを許容されないのです。
ただ、これは親子の愛情の問題だけではありません。被差別部落に生まれた人は?産まれながらに障害を持った人は?貧乏な家庭で育ってどうしても教育が受けられなかった人は?戦争地域に産まれてしまった子供は?それらも全て自己責任で片付けることは暴力的です。
私自身の話をすれば生後6ヶ月でヘルニアになったこと、父親に捨てられたこと、中学校の頃に先生にいじめられたこと、不登校児になったこと、などは私の責任でしょうか?これをお前の責任だという人がいたら私は一切付き合いをやめます。いや、これは控えめな表現で実際はいつかボコボコにしてやる!!!と復讐リストに入れるでしょう(笑)
私は父親に捨てられたり先生にいじめられたりして確実に心に傷を負いました。それのせいで随分苦しめられました。しかし、だからと言って社会がそれを許容することはほぼありませんでした。特に仕事、ビジネスの場においては一切許容されませんでした。
私自身、自分ではどうしようもないことでハンデを負って社会に大人として放り出されました。こういう人は沢山いるでしょう。そして自分の責任でおったわけではないハンデが一切考慮されないところで生きて行く必要があるのです。
他にも福島県の難民問題があります。福島原発が爆発して故郷に住めなくなった人々が10万人近くいます。この人達は自己責任なのでしょうか。津波が来たのも、地震が起きたのも自己責任なのでしょうか。強いて自己責任だ、と言えるのは原発を誘致して補助金を沢山もらった一部の、ほんの一部の大人達ではないでしょうか。少なくとも子供達は全く責任が無いでしょうし、その大人達だって自信はお前のせい、と言えないはずです。それでも社会はさも福島が復興したかのようにメディアがプロパガンダを行います。手をさしのべてくれる人は本当に少ないです。
この辺りの問題は烏賀陽弘道さんというジャーナリストのnoteによく書かれているので是非読んでみて下さい。
烏賀陽(うがや)弘道/Hiro Ugaya|note
https://note.mu/ugaya
自己責任と言えない何かで不利益を被り、ハンデを負ってしまっているのに、さもそれがなかったかのように社会は生きろと言います。なんと行きづらい世の中なのでしょうか。
それでも○○だから私は辛い、と言っても何にもならないのです。○○だから私は自信が持てない、人生が辛い、人の目を気にする・・・と言っても何の成功もない。例え自己責任ではない部分で自分が今辛くても、それでも変えられるのは自己責任で変えられる部分しかないのです。
自尊心や自信が無い人がいる。コーチング的に言えばエフィカシー、自己能力の自己評価が低い人がいる。それを全て自己責任だというのは危険。
自尊心や自信が無い人がいる。コーチング的に言えばエフィカシー、自己能力の自己評価が低い人がいる。それを全て自己責任だというのは危険。
というブログにも書きましたが
問題は極論に走ると大変危険なのです。
全て自己責任だ、と言う話になると自由主義経済的発想になる。貧乏なのも、身体が弱いのも、差別されるのも、全部自己責任か?教育の公平性は?親の年収は?とか本人にどうしようも無いことだってあるのに全て自己責任にしたらそれは酷すぎるし暴力です。
その一方で全て社会が悪い、毒親が悪い、学校が悪い、政治が悪い、東電が悪い、となるとそれもまた意味が無い。それらの批判が全て的を射ていたとしても、全部私のせいじゃないのだからなんとかしろ、と言ってもやはり意味が無いのです。
全部自分のせいだ、自己責任で変えていける!というのも暴力だとしたら、全部他人のせいだ、私は悪くない!というのも無価値です。どちらも自分を救ってくれないのです。
ではどうすればいいのかというと、自分の中で
これは自分のせいではない
これは自分のせいだな
と言うところをなんとか整理するしかないのだと思います。例えばどうしても人の目を気にして嫌われないように振る舞ってストレスを溜めてしまう、そんな人は多いと思いますが、それを全部自己責任だと捉えると余計に苦しくなります。こんな風な自分になってしまったのはある意味自分のせいではない、とまず認める事です。そもそもそのようになってしまったのは多くは幼少期のせいなので過去です。過去はどうしようもないし変えられないのでそれはどうしようもないことだ、と認める事です。その上で少しは自分で変えていける部分を見つめる事です。そして失敗したとしても自分のせいじゃないさ、と気楽になることです。
これを全部自分のせい、変われないのも自分のせいとすると苦しくなります。挑戦して失敗したこと自体が自分を責めることになります。そうではなくてそもそもこのような自分である事は自分のせいではないのだと認め、挑戦しただけ失敗してもまあ偉いじゃん、と認める事です。そのほうが少しでも無意味なストレスなく自分を変えていけることができます。
自分を変える際に感じるべきストレスと感じなくて良いストレスがあります。親に捨てられて辛い思いをしてそれがトラウマになってしまう私の様な人がいたとして、そのトラウマで苦しめられていた時に苦しいのは苦しいがこれはそもそも自分のせいではない、と思える方がまだマシです。苦しむのも自分のせいだと思うとトラウマから乗り越えようとするエネルギーすら枯渇してしまいます。
自分のせいじゃないことで自分を責めず、自分が変えられる範囲で自分を変えていく、それを繰り返していく。その繰り返しには大変なエネルギーが必要なので自分のせいじゃないことで自分をいちいち責めないことです。正しく他人のせいにすることです。このバランスがとても大切なのだと思います。
そして、そうやって少しずつ成長していった人達が未だに苦しんでいる人達をちょっとだけ助ける。そういう連鎖を広げていけば世の中はもっと行きやすい世の中になるのではないでしょうか。そうすると自分の成長、成功が社会の苦しんでいる人の助けにもなるので一石二鳥です。
追伸
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一月万冊 清水有高(しみずゆうこう)滋賀県出身。元不登校児、母子家庭育ち。ビ・ハイア株式会社代表取締役。滋賀県立大学人間文化学部卒業。ベンチャー役員、上場企業役員などを経験しコーチ、投資家、経営者として活動中。東京大学を始め各種大学で講演多数。コーチングと読書を経営に活かし営業利益1億円以上、自己資本比率70%の会社を経営。8年間でスタッフ1人あたりの営業利益を100倍以上にする。コーチングと読書を通じて色々な可能性をみんなに伝えていきたくてこのチャンネルを運営中。月1,500冊以上の読書をして、それとは別腹で漫画も毎月数百冊読む。趣味はパイプ、葉巻、ドライブ、喫茶店&本屋巡り。
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清水有高プロフィール
清水 有高Yukou Shimizu
ビ・ハイア株式会社 代表取締役
一月万冊 清水有高(しみずゆうこう)滋賀県出身。元不登校児、母子家庭育ち。ビ・ハイア株式会社代表取締役。滋賀県立大学人間文化学部卒業。ベンチャー役員、上場企業役員などを経験しコーチ、投資家、経営者として活動中。東京大学を始め各種大学でも講演多数。コーチングと読書を経営に活かし営業利益1億円以上、自己資本比率70%の会社を経営。8年間でスタッフ1人あたりの営業利益を100倍以上にする。
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