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2014.03.26 WED - 読書ブログ

ブラジャー議論 ブラジャーをする男としない女 『文化とは暴力である』

ブラジャーをする男としない女、青山まり、と言う本を読んだ。私は色んな人に会ってきた。性同一性障害の人もいたし、レズの人もいたし、バイセクシャルも、ゲイも色んな人に会ってきた。性的な意味ではなく、いわゆるマイノリティの人達も沢山接してきた。シングルマザー、いじめられっこ、ちょっとオカルトじみた人、そういう人達は私の人生の中で自然と出会い、薄い知人なのか、友人なのか、仕事関係先なのか、色々な人間関係を構築してきた。私にとってそういうのは自然なことだったけど、考えてみたら普通の人生を歩んだらあまりそういう人には会わないのかもしれない。もっとも、平均化された普通の人生なんてどういうものか、、、そもそも平均化された普通の人生という考え自体が幻想なのだろう。

ブラジャーをする男としない女は男で妻もいるけど、ブラジャーをする男性達を紹介した本。ランダムに購入した新刊の本の中に書いてあった。内容はブラジャーをする男性達の日常や、苦悩、喜びなどが書かれている。

この本で一番印象的だったのは後書きに著者が書いている『文化とは暴力である』という一文。男らしさ、女らしさ、そういう物の押しつけが暴力的だとのこと。文化とは暴力だ、といえるし、常識とは暴力だ、といえる。平均された普通の人生なんて存在しないだろうに、そこから見た男らしさ、女らしさというイメージに沿おうとみんな生きようとする。でもそんなの幻想だよね。

ちなみに私はブラジャーは付けませんよ(笑)異性が付けているのを見たほうが嬉しいです。ただ、ブラジャーをする男がいてもいいよねとは思う。一昔前までは、私の大好きなアニメゲームマンガだって、気持ち悪い趣味、の一つだった。私はそういうのを一切無視して、アニメゲームマンガ好きである事を公言していたし、女性とデートに行ってカラオケに行っても好きな歌、としてアニソンを唱っていた。気の弱いアニメゲームマンガ好きの人は人前でアニソンを唱うことすら恥ずかしがる。それもまた常識、文化の暴力なのだろう。

自分が文化という暴力にさらされていること、常識という圧力にさらされていることに自覚的な人は本当に少ない。それに自覚しないと知らない間に『暴力に加担』することになるし『暴力でボコボコ』にされたりする。ブラジャーをする男の人がいたら、そういう人をどう思うか、自分の心の反応を見つめる余裕を持つためにも読書は必要だなあ、と思う。しかし、何度も言いますが、私の好みは女性が付けているブラジャーです(笑)

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清水 有高Yukou Shimizu

ビ・ハイア株式会社 代表取締役

一月万冊 清水有高(しみずゆうこう)滋賀県出身。元不登校児、母子家庭育ち。ビ・ハイア株式会社代表取締役。滋賀県立大学人間文化学部卒業。ベンチャー役員、上場企業役員などを経験しコーチ、投資家、経営者として活動中。東京大学を始め各種大学でも講演多数。コーチングと読書を経営に活かし営業利益1億円以上、自己資本比率70%の会社を経営。8年間でスタッフ1人あたりの営業利益を100倍以上にする。

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