2016.05.28 SAT - 読書ブログ
毒親 家にいない父が結婚できない娘を作る『回避性愛着障害〜絆が希薄な人たち〜』岡田尊司著
当てはまる部分がある人が増えている
こんにちは!一月万冊の大山です。今日は『回避性愛着障害〜絆が希薄な人たち〜』岡田尊司著をご紹介したいと思います。回避性愛着障害、という言葉を私もこの本を読んで初めて知りました。どういったものかというと、
・人と親密になるのを避けてしまう
・一人の方が気楽
・結婚や子どもをもつことに消極的
・責任や束縛を嫌う
・傷つくことに敏感
・失敗を恐れる
といった特徴をもつ人のことを回避性愛着障害というそうです。一見すると人見知りで暗く消極的な人物像を思い描いてしまいそうですが、親密な関係や情緒的なつながりを避けたり 、結婚や子育てといった責任を回避しようとする傾向は 、消極的な人生を歩んでいる人だけでなく 、一見 、社交的で 、人生をエンジョイしている人や 、社会で活躍している人にも幅広く認められるようになっている といいます。
私も回避性愛着障害の症状だ
私が、まさにそれだと自分自身思います。私は一月万冊を運営している清水の会社で役員兼営業マンとして働いています。会社の中でも古株にあたり、責任もある立場ですし営業マンとしてもお客さんから信頼され、「うちに来ないか」と引き抜きのお誘いを貰ったりもしています。仕事をしていく上での社会人としての人当たりや仕事の成果は申し分なく出ていると思うのですが、その実、自分の自信がありません。
いまは会社の中でも責任あるポストにいますが、失敗したときの責任を取ることなど私なんかには出来ない!と、まだしてもいない未来する可能性のある失敗にフォーカスして落ち込んでしまったり、一度失敗して社長に叱られると
「なんて自分はダメなんだ」
という思いでいっぱいになり、涙を流してしまいます。自分がしでかしてしまったことへの責任の取り方がわからず自らに対して深く絶望し傷つき、泣いて自分を責めることしかできなくなってしまうのです。
そんな自分のこともままならないような私は、結婚や出産して他人を幸せにすることなどできないし、そんな責任を負うぐらいなら一人で生きていきたい。そして、私だけなら幸せにになろうとなるまいと、どうせ元からダメな人生。諦めもつく・・・。とさえ思っています。回避性愛着障害の症状に全て当てはまるということを本作の冒頭部分で知り、かつそういった人が増えているということも書いてあったため、私がそういった表向きポジティブそうに見えるだけでネガティブな人間になってしまった原因を作った親子関係の歪さについて共有していきたいと思います。
愛着障害のタイプ
愛着スタイルというものは回避性の他にも幾つかタイプがあり大きく安定型と不安定型に分けられ 、不安定型は 、さらに不安型 と回避型 に分けられるそうです 。不安型と回避型の両方が重なった 、恐れ ・回避型 や 、愛着の傷を生々しく引きずる未解決型と呼ばれるタイプもあります 。
愛着システムがバランスよく機能している状態が安定型だとすると 、不安型は 、愛着システムが過剰に敏感になり 、働きすぎた状態です。一方 、本書のテ ーマになっている回避型は 、愛着システムの働きが抑えられ 、低下した状態になっています。ひと言で 「愛着が不安定 」といっても 、不安型と回避型は正反対のベクトルを持っています。
たとえば 、「別れ」という場面での反応を見てみると、
不安型→相手にしがみつこうとし 、泣き叫んで抵抗する 。
回避型は→クールで 、あまり表情を変えない。
困ったことが起きた場合の反応は
不安型→誰かれなく相談しようとし 、過剰なまでに大騒ぎをする 。甘えられる人なら誰にでも甘えようとする。
回避型→何事もないかのように 、ただ一人で耐える 。誰にも本音が言えず 、甘えられない。
私の場合は明らかに回避型です。象徴的な事例としては、大学時代に付き合っていた彼氏とは神奈川と千葉で遠距離恋愛で、彼は美容師の見習いとして美容室で働いていました、1ヶ月に1〜2度会えるか会えないかという状況でしたが、あまりしつこく会いに行ったり来てもらったりするのは悪いと思い、寂しいとさえ言わず一人で耐えて甘えず、しっかりした女性として明るくつとめ、彼が美容師として成功するのを見守っていたつもりでした。
しかし
「仕事が忙しくなったからちょっと連絡ができないかもしれない。」
とメールで言われて1カ月。ほぼ連絡を取っていなかった時に突然
「君以外に、助けてあげないといけない子ができてしまった。君は1人でも生きていけるけど、彼女はそうじゃない。俺がいないとダメなんだ。勝手なことを言うけど許してほしい。」
というメールで別れを告げられました。彼は同じ美容室にアルバイトで入ってきた後輩の女の子に仕事の悩みを打ち明けられ相談を聞いているうちに心を動かされていたのです。悲しかったし、
「一人で生きられるって、なんであんたに決められなきゃいけないんだ!」
とも思ったし、支えてあげなくちゃいけないとかかっこいい言葉で締めくくるんじゃなく浮気を詫びろよ!!と怒り狂いもしましたが、返事をする頃には
「私にも悪いところがあったからこうなったんだ。放っておきすぎた私に責任がある」
と自分を納得させて「彼女とお幸せに。」と努めて冷静に伝え、お別れをしました。
1カ月もの間メールがなくても平気でいられることも、普段から「甘えてくれない」という不満を彼に持たせるような態度を取っていたことも、別れの時にものわかりよくあっさり別れられてしまうことも、全て回避性愛着障害の特徴です。
回避性愛着障害は親子関係が影響している
こうした、大人になっても続く愛着タイプの決定は2歳児までの養育環境が大きく影響していると考えられています、養育環境とはつまり、親からどう育てられたかということです。親が子供の頃に惜しみなく愛情を与えて、子供がどこに探検しに行ったとしても安心して戻ってこれるような安全基地を精神的に構築しているかどうかがその後の性格形成に大きな影響を及ぼします。
この本に書いてあることとして特徴的なのは父親の影響についてです。わかりやすい例が記載されていたので引用します。
(引用)
Nさんの父親は教師であった 。教えることが上手で 、部活の顧問を務めるなど熱心なことで定評のある先生だった 。しかし 、自宅にいるときの父親は 、 Nさんに対して無関心で 、教育のことも母親に任せっきりだった 。家では口数も少なく 、あまり自分からしゃべる方ではなかった 。機嫌がいいときは 、話をすることもあるが 、それに対して Nさんが何か訊ねたりしても 、答えが返ってくることはなかった 。父親ともっと話したいと思っても 、すぐにその場からいなくなってしまうのだ 。そうした父親の反応が 、子どものころから不思議で仕方がなかった 。どうして 、父は自分の気持ちに応えてくれないのだろうかと思っていた 。父親は一見 、社交的で 、外では活動的にふるまっていたが 、その実 、本当の友人と言える存在は一人もいなかった 。今にして思えば 、父もまた自分と同じように 、親密な関係が苦手で 、他人と近づきすぎるのを避けていたのではないか 。話しかけても困ったような顔をして 、自分の部屋に下がってしまった父親の反応の謎が 、ようやく解けたように思うのだ 。(引用終わり)
私の父もそうでした。大手企業のエンジニアとして高卒で働き、定年近くの現在まで勤め上げている父は、会社では頼りにされている存在のようでしょっちゅう取引先や会社の後輩などと釣りやゴルフに出かけていました。電話では声を上げて笑い、冗談を言っている姿なども見かけましたが、家では全く喋らず、ヒステリックな母が父や娘に文句を叫んでいてもどこ吹く風でテレビを見つめていました。
幼稚園の時、父がはしゃいで私を投げ飛ばした時、母は怒り狂いました。
「乱暴にしないで!!怪我でもしたらどうするの!」
両方の拳で頭を挟み、持ち上げてそのままソファに投げるという「梅干しグリグリ」という遊びでした。お姉さん2人とお兄さん1人、弟1人の家庭で育った父は、年の離れた弟に対しては同じことをして遊んでいたのかもしれません。しかし、園児で女子に対してやる遊びではなかったのだと思うと、途端に距離の取り方がわからんなくなったのか、それ以降「梅干しグリグリ」は封印され、父は私と話さなくなりました。
父は、母が
「りかのことを叱ってよ!」
と頼んだ時だけ私を叱り、時には手が出ることもありました。
家族でホットプレートを囲んで焼肉をしていたときです。乳歯がグラグラしている時にうまく肉が噛めなくてモタモタと食事をしていたら、まず母に注意され次に父の鉄拳が顔面にヒットしました、その衝撃で歯が抜けて飛びました。
家にいることが少なかった父の数少ない私が覚えているエピソードはこれですが、普通に考えたらこれもおかしな話です。
・母親がいくら叱って!と言ったとしても歯が飛び出るほどぶん殴る
のはおかしいのではないでしょうか。
その時、母親は焼肉のホットプレートに飛んだ歯を見て「やぁだー!!汚い!すぐ手が出るんだから!!」と言いはしたものの、
殴られた娘への心配の言葉も、やり過ぎだといさめる言葉も父に言った記憶がありません。
それから父からも
強く叩いてごめんね
と謝罪されたこともありません。だとすると我が家は
幼児の頃、日常的に母親がキレて、父親が殴る
のが当たり前の家庭だったと言う事になります。父親が私のことを殴り、母親がぶち切れていても妹が泣いていたり怖がったりはしませんでした。
焼肉事件の時も「うざい」という目線で一瞥した後食事を続けていました。
そんなことをしていた父親なのにも関わらず、人生で初めて向き合って2時間話した娘に
ママのことは大切にしているんだ
と言っても営業マンの営業トークのように心に響きません。
父は父で、面倒くさいことに首を突っ込まず、仕事を免罪符にして
「家にお金を入れているんだからほっといてくれ」
ということだったのだろうと思います。本人に自覚はなかったかもしれませんし、本当に
「俺は家を守るために良いことをしている」
と思い込んでいるのかもしれませんが、明らかに、お金を渡してきただけで夫としても父としても責任を果たしていません。
しかし、私は信じてしまいました。いや、信じたかったんです。そのほうが都合が良かった。久しぶりに会った父との会話を「打ち解けた親子」という綺麗な構図で終わらせたかったのに他ならなかったと今では思います。
どう考えてもおかしいのです。20年以上娘と対話がないこと自体おかしい話ですが、久しぶりに会って
ママを大切にしたい
娘達のことを愛している
家を放置していて申し訳ない
と言う発言はありこそすれ、言葉だけでなにも行動が伴っていません。
それを「パパも考えていてくれたんだ!」と一時的にでも信じてしまった・・・信じたかった私・・・そこにこの問題の根深さがあると思います。
DVされまくってる女がたまに泣いて愛してるのにごめん、と男が謝るから許してしまう・・・それはどう考えてもおかしい。20年以上家に一切寄りつかず、娘と対話を一切しない。母親に娘が家で
お前はいらない子だ!
産まれてこなければ良かった!
あんたのせいで!
とキレられたり、物理的に殴られたり、風呂場に押し倒されて床のタイルにたたきつけられたりしてるのに無視していた父親(あるいはどうでもいいから知らなかったかもしれません)が今更
ママを大切にしたいんだよ
という。これは嘘です。どう考えても嘘ですし、行動が伴っていません。もし、嘘じゃなくて本気で思ってるならその思考自体が異常です。
本書では、回避性愛着障害の人が増えると他人に対して適切に関係性を結べる人が減り、結婚や出産に対して消極的になっていくため結婚できない問題が加速していくといった趣旨のことも書かれていました。
私の大学時代の恋愛の例も出しましたが、私も同様にこのままでは恋愛もううまくいかず結婚もできないでしょう。それでもいいと思っている自分もいますが、その原因が親なのだとしたら、親子問題解決を行った先に、今までとは違う価値観の人間関係を結び、結婚観も変わるかもしれません。
私自身の今後結婚をどうしたいかという明確な指標は現在では考えていないものの、親子問題を解決した先にある新しい自分の人生がどう開けていくのかは、見たいし考えたいと思います。私と同様、結婚できない娘たちの抱える問題は、結婚できないことそのものではなく親子問題から発する己の人格形成なのだとしたら、それらを解決する糸口になるような情報と、踏み出す勇気を与えたいと思います。
まだ、父とも母とも、そして私の人生のあり方とも決着がついたとは言い難い状態です。でも、一歩ずつこの関係性にケリをつけて、私は私の人生をよりよく過ごしたいと思っています。
同じように悩んでいる人に少しでも共感と安心感を伝えられたらと思い書いています。私も自分の気持ちを整理していくのに、文章を書くということは非常に役立ちます。母だけでない、父との問題が浮き上がった現在、さらに読書し、レビューして自分と、同じように悩む娘たちを助けていきたいと思います。
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