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2016.05.24 TUE - 読書ブログ

毒親に育てられた長女が語る!『長女はなぜ「母の呪文」を消せないのか』大美賀直子 著



無意識に親に制限されている人生

こんにちは!一月万冊の大山です。長女は誰しも寂しい思いをしているのではないか。と、私は思います。そうでなければこうしたピンポイントなタイトルの本は出ないですし、大人になっても長女は長女。姉妹同士の確執の渦中にいる子供ではなく、既にそこから抜けて親元を離れた私のような20〜30代の娘だった女性達に向けてこの本は書かれています。著者の主張とタイトルと購買層がぴったりあった例ともいえるかもしれません。大人になっても、「母の呪文」が消せていないから、長女だった独り立ちした娘達は、未だに悩みながらこの本を手に取るのでしょう。

私自身も身に覚えがあるからこそこの本を選んで買ってきたわけですが、母に関しては「思い出」という風に語るには日常的に、すぐそばに母が居るかのような錯覚を覚えるときがあります。つい最近まで私は、母と毎日LINEでコンタクトを取っていました。なぜか、そうしなければならないような気がして、

「雨が降ってきた」
等のちょっとした出来事も逐一報告し、逆に母の仕事や旦那や近所の人に対するグチを聞き、「甘いものを食べに行きたいわ」と言ったらお茶に連れ出す予定を作るなど母に尽くしていました。好きで、楽しいから会っていると言うよりは「育ててもらった恩があるからむげに出来ない」と言った感覚です。LINEを無視したり返事が遅くなろうものなら「りかー」「おーい」「おーい」とメッセージの連投が来るので、毎回何とかして返事を返していました。普段は関係ない与太話ばかりしているくせに、少し間が空くと

「まだ仕事してるの?」
「遅くまで仕事して、休んでるの?」
「家にも帰ってこないで仕事ばっかり」
と、グチの矛先が私や私の仕事に向くので、それを避けるためにはどうでもいい話題にも付いていき続けないといけない。そうすることが一番かしこい方法だ、と本気で思っていました。

ooyama「親だから」「お金を出してもらっているから」の呪縛

色々と生き方について文句を言われるのが嫌で、かつ普段垂れ流されてくるグチなんてほんとは聞きたくないと思っているなら、付き合わなければ良いのに。と、今冷静になった私なら過去の私に言うでしょう。過去の私も、これが母親ではなく友人や取引先が相手だったらさりげなく距離を取って連絡しないようにしていたかも知れません。それができなかったのは、実の母親であり、血のつながりがあって離れることは一生できない。かつ育ててもらった恩義、負い目のある相手だからです。

世の中には親と絶縁している子供だって居る。本当に付き合いたくなければ自分だってそうすればいいだけのことです。しかし、無意識下に

「親と絶縁するなんてよっぽどのことがないとしてはいけないこと」
とインプットされています。実はこれも、長女が母から受けた呪文の一環に他なりません。親は、無条件で大事にしなければならない存在で、多少グチがうるさかろうが行動に制限を与えてこようが、子供から見捨ててはいけない。そう考えてしまっている長女が多い、とこの本でも紹介されています。では、なぜそう思うのか。社会的な空気もあると思いますが、私の心にそう囁く声が誰のものかと耳を澄ませて聞いてみると、その犯人は他でもない母でした。「親だから」「お金を出してもらっているから」。裏返してみると、幼い頃から

「あんたは子供なんだから」
「私がお金を出してあげているんだから」
と何百回も言われてきた言葉の呪縛にとりつかれてしまっていたんだと、わかったのです。本に書かれている、
「母親に見捨てられたくないという幼児期の不安をいつまでも引きずっている」
状態はまさにこのことを言っているんだと感じました。

ooyama2押しつけられる「あなたのために」

他にも

「お姉ちゃんなんだからしっかりしなさい」
「あなたが悪い子のままだと将来困るからわざわざ私はあなたのために言ってあげてるの」
「ママが怒るのはあなたのためを思ってのこと」
など手を変え品を変え、母は自分の主張を「あなたのために」仕方なく言っているという体をとって容赦なく伝えてきていました。これらの言葉が、その後の全ての行動を左右することになります。「ママは私のために言っている。言わせてしまうのは悪いことだ。期待に応えなければならない。」無意識的に心に刻んでしまう決意が、もう1人の架空の母親を自分の中に作り出すことにつながります。

長女は、基本的に母のコピーとして期待を一心に受けて育ちます。最初の同性の子供は、母にとって特別で良くも悪くも自分の人生と重ねて大きな期待と「かくあるべき」を押しつける対象になります。その期待感を背負い、母の思いを叶えて上げたいと考えてしまうのが長女に多い特徴です。母の期待に応えるために思考し、母の期待に応えるために行動することを続けていると、その場に母が居なくても、判断基準が全て「ママがどう言うかな?」になってしまいます。

D016A3C6-C528-4C00-BF9F-87221F3F31F8「母が判断基準」からの脱却

大学に進学して初めて親元を離れたとき、当時は散々母親から苦しめられて、辛くて離れたくて出てきたはずなのに、服を一つ買うにも友達とアイスを食べるとき1つとっても、お金を使うこと全てに「ママはどう思うだろう?ダメっていうかな?」と考えてしまっていたことを、今は思い返すことができるようになりました。

というのも、当時はそれを自然にやっていて変だとも思っていなかったのです。さすがに口に出して言うことはありませんでしたが、お金を使うときに判断基準になって居たのは「母がどんな顔をするかシミュレーション」でした。心の中にいる母が「いいんじゃない。」と言えば購入。「そんな無駄遣い!!」と怒って叫びだしたら買わない。LINEで母とつながった後は、リアルタイムにLINEで聞いたりもしていました。

でも、長年心の中でシミュレーションしてきたから母がなんて返してくるかはおおかた予想が付いています。それでもわざわざ聞くのは、母はいちいち判断を仰がれることに喜んでいるからに他なりません。彼氏選びでも一緒です。「付き合って良いかな?ママはどう思う?」脳内でそう呼びかけて自分の人生を自分で自由に決めることすら出来ていない。

そんなのは異常です。こうして、離れていようが年を取ろうが、意識的に自分で自分の人生を決めていくと思って思考を買えていかない限り、長女はずっと母の呪文にとらわれたままになります。少しでも思い当たるところがあったら、ぜひこの本を読んでみてください。みんな、長女であること、ママの娘であること以外の、新しい関係性と自分自身の人生を生きる権利を持っているのです。自分の中にある母親とどう立ち向かって、自分の人生を勝ち取っていくか。そのヒントはこの本に書いてあります。今からでもきっと遅くはありません。

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大山 莉加Rika Ooyama

ビ・ハイア

ビ・ハイア株式会2010年に正式入社。 千葉県茂原市出身。昭和62年11月19日生まれ。 専修大学文学部2010年卒業。

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