2016.05.22 SUN - 読書ブログ
毒親 ヒステリックな母親と無言の父との決別『母がしんどい』田房永子著
母がしんどい
記事を読んでいただき、ありがとうございます!一月万冊の大山です。今回ご紹介するのは漫画エッセイ『母がしんどい』田房永子著です。漫画家、イラストレーターとして活躍している著者ですが、自身が両親と決別しようとしていたときの経験から、同じような経験をしている人たちの体験談を聞くと心が落ち着くということに気付き、自らも漫画で今も同じように親子関係で悩む娘たちに向けて発信してくれようとこの漫画を執筆したそうです。
この著者の母は、優しく人当たりも良く明るいこともありますが、気に入らないことがあると3秒で発火し大爆発するような、娘にも予測できない「しんどい」母親でした。対して父親は、父方の祖母が亡くなってから家では基本的に言葉を発さず部屋にこもり、存在感の薄い父だったようです。この構図は私の実家にそっくりで、驚きました。私の母も、今も年齢を感じさせないほどの美人ですし、仕事場でも年齢性別に関係なく仲良く、明るく前向きな性格で頼られているようです。しかし、一度家に帰ってくると口をついて出てくるのは悪口やグチばかり。その対象は近所のママ友や自治会のメンバー、仕事の内容や同僚、そして旦那と娘である私と、多岐に渡ります。そんな母のグチに耐えられなくなったのか、父はいつの間にか家に寄り付かなくなりました。休日でも釣りや自治会の集まりだと言っていつの間にか出かけてしまったり、自分の部屋で一言も発さず寝て過ごしたりと、そのうち、家族で食卓を囲むこともなくなりました。
たくさんの共通点
旦那が家に寄り付かない。そのストレスを母は私にぶつけるようになっていきました。まだ小学生か、それ以前の時には風呂場に引っ張り込まれてタイルに投げ捨てられ、「産まなきゃよかった」と言われたり、玄関に蹴り飛ばされて「出て行け!!」と怒鳴られたこともありました。しかし、そのうち暴力を振るってしまうのを収めるためだったのか、『母がしんどい』でも同じようなシーンが描かれているのですが、母娘間で交換日記をしようと持ちかけられたのです。この本を読んで久しぶりに思い出しました。母のデコレーションした日記帳ではなく、うちの場合はキキララのノートでしたが、「今日はこんなことでママは悲しかった。」「あなたはちゃんとママのいうことを聞いてくれると信じています。」といったような文章が並び、「ママはあなたが好きだからあなたのためを思って言っているのよ。」という言葉で締めくくられるそれは、母の愛情にしっかり応えられない自分に対して悔しい思いをさせられる、つらい日記帳でした。
また、母はよく私に服を買い与えました。終盤著者は母からもらった服を大量にフリマで売るシーンがあるのですが、思うにこの著者の母の選ぶ服は同年代の友人や学校などでは評判が悪かっり、自分ではとても着れないような趣味の服だったのではないかと思います。私の場合は、母はオシャレな人で選ぶ服も雑誌に載っているような可愛らしかったり東京で流行りのオシャレな服だったのですが、学校の同級生の中ではすごく評判が悪く、目立ってしまってはいじめられました。赤いカラーパンツを履いて行っては「目立ちたがり」と囁かれ、ナイキの靴を履いて行っては「男女(おとこおんな)」と罵られました。千葉の田舎の学校だったので、その中で輪を乱して目立つのは自殺行為だったのです。
女子の靴はピンク色の「レモンパイ」という運動靴が流行っていた時期で、ナイキの靴を履いているのは男女ともに誰もいなかったし、体操服で登下校しているような子供達の中で、ビビッドな赤のカラーパンツは浮いていました。大人の論理では、「オシャレな服を着せてもらえていいわね」なのかもしれませんが、子供社会の中では同級生と違うことをしていじめの標的になるのは一番してはいけないことです。オシャレじゃなくていいから、いじめから抜け出したい。小学校の6年間をいじめられっ子として過ごすぐらいなら死んでしまいたいとまで追い詰められていました。そのことを母に相談しても「言わせておけばいいのよ」と相手にしてもらえませんし、お小遣いをもらっていないので母の選んだ服以外の選択肢がありませんでした。
高学年になって周りの子と同じようにブラジャーを買ってほしいと頼んだ時、なかなかお金を出してくれず、スポブラでいいじゃないの!!と散々言われた後、結局時期が来てブラジャーを買ってもらった後にも、本と全く同じように怒られました。これは今でも何故なのかわかりません。
都合のいい時だけ父を味方にする母
父の不在中、そのストレスを私にぶつけ度々母は激しく怒り、叫び、ヒステリックに罵り続けました。私は母に手をあげたことはありませんが、嵐が過ぎ去るのを待っているのを見透かされて「何よその顔は〜〜!!反省してないでしょ!!」と因縁をつけられて嵐は収まるどころか加速したり、「こんなにママのこと怒らせて、心臓が悪いって言われたのはあんたがストレスを与えるからだわ。いたたたた・・・」と悲痛な表情で胸を押さえて苦しがることも度々でした。
そして父は帰ってきていないのでほとんど会えていないはずなのに「パパもあんたはとんでもない娘だって怒ってたよ。」と言ってきます。一番、父がいないことについて腹を立てていて、父がいない時は父の悪口を言いまくっている母ですが、都合のいい時だけ父を自分の味方にして私を非難するのでした。実際に父がどう思っていたのかはわかりません。しかし、母はいつも「あんたは父親に似ていて憎たらしい」と私と父を一括りにしてキレていたので、なんとなく私と父は母に非難されるもの同士仲間だと思っていました。その父から「とんでもない娘だ」と言われたのだとしたら、誰も私の味方をしてくれる人はいないのかとショックでしたし絶望しました。
母の孤独と強がり
母はきっと、一人孤独に戦ってきたのでしょう。母になる前、娘時代から満たされないものを感じ続けて、常に誰かに「あなたが正しい」と言われたかったのかもしれません。私が大人になって、友人や恋人、会社の上司などに同じように「認めてほしい。」「わかってくれないなんてひどい!」を母と同じように押し付けてしまっていると気付いた時、ふとそう思いました。認められずに罵られて育ってきた子供は、認められることを目的に人間関係を構築しようとします。自分にもその傾向がある。母と同じような態度を取ってしまっていると思った時、私はそれを辞めたくて様々な本を読みました。それらの本に書いてあったのは、自分を認め、褒められるのは自分しかいないということでした。自分で自分を認め、自分を受け入れて許せるように感情をコントロールできていなければ、それをやってくれる他人を求め続けてしまいます。しかしそれは、自分と全く同じ考え方の全く同じ人間であることを他人に求めるということなので、そんなことは普通に考えて土台無理な話です。
母は、「ママが正しい。どうせあんたにはできない!ママのいうとおりにしていれば間違いない。」とよく言っていましたし、言葉にせずとも常に尊大な態度で家の空気を支配していました。それは、自信があったのではなく、自信のなさの裏返しで、自分の分身である娘に自分を肯定してもらおうと必死にマウンティングしていただけに他ならなかったのです。母は絶対的な存在ではなく、一人の不完全な女性だった。これに気づいた時に私の心は軽くなりました。かわいそうな人なんだ、と割り切ることができました。だからといって同情したりかわいそうに思ってすり寄ってあげる必要はありません。結局娘がどれだけ頑張っても母自身にはなれないですし、なれないということはまた気に食わないことが発生するたびに母は噴火してお互いしんどい思いをするだけです。一番の解決法は、物理的にも離れ、連絡も取らないことです。そして、その間に娘側が自分で自分を救うように意識を向けて、子供の頃に悔しく悲しい思いをした自分を慰めて癒してあげることです。子供時代、自分は悪いことをしていなかった。そう認めてあげた上で、今度は大人になって責任も発生する立場になった自分に対していいことをした時も、何かを間違えた時も自分だけが唯一自分の味方になって解決できるんだと、心に刻んであげることです。
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