2016.05.20 FRI - 読書ブログ
毒親 職場の人間関係にも親子関係が関係している!?『母と娘の「しんどい関係」を見直す本』石原加受子著
こんにちは!一月万冊の大山です。今回は、『母と娘の「しんどい関係」を見直す本』石原加受子著をご紹介したいと思います。この本で注目すべきは、冒頭の「はじめに」部分です。ここに、すべての人生における問題の原因が究明されていると言っても過言ではないようなことが書いてあります。それは、「仕事や友人の悩みですら、すべて培ってきた親子関係に原因がある」ということです。
これを読んだ時、あまりにも自分に当てはまりすぎていて驚きました。「私が悪い。私はダメな人間」と自分をいくら責めてみたところで、その悩みが解消することはありません。」という一文ですが、まさに私は今まで生きてきて28年間、何があっても自分を責める人生だったと断言できます。自分を責め、落ち込み、目標を下げ、「私にはクソ最悪がお似合いだ。」とダメな自分を認めることで、低い次元での安心を得ようとし続けました。そして、それで良いことが起こったかというと、何も起こりませんでした。徹底的に自分への期待値を下げることで、ただ「生きている」ことが出来ただけです。それが新たな悩みと自分への責めを生み出しました。
例えば、私は普段お客さんからの受けもよく、社長も仕事ぶりを評価してくれています。しかし、一度何かミスを犯してしまったり、お客さんの期待する価値がすぐには出ずにクレームになったりすると、それだけで一気に自分を責めるモードに移行してしまいます。
冷静な頭では、「もともとこのサービスはすぐに成果が出ることを期待するサービスではないから、手順を踏んでしっかり対応すれば満足してもらえる結果は出せる」とわかっているにも関わらず、表面上しっかりクレーム処理を行いつつ、心の中ではもう一人の自分が「ほら、失敗した。身の丈に合わない仕事に挑戦するからこうなるんだ。お前は満足に仕事ができないダメな奴なんだからどうせ今の対応だってまた失敗するに違いない。お前はいらない人間だ。」と自分を激しく罵っています。
そして、そうした捨て鉢な態度が表にも出てきて、社長に怒られたことも何度もありました。そうした時、社長はよく私に
「甘えるな。私はお前の親ではない。」
と言っていました。いま思えば、確かにそれは自分を責めているように見せて、相手に対して
「私は満足に仕事もできない子供なんだから許してください」
というメッセージを発していたのだと思います。
自分を責めてわざと低い位置に置いて苦しむことで許されようとしていた、さながら自傷行為のような状態で社長に接し、対峙した社長はどれだけストレスがあっただろうかと今なら想像できます。自分を責める行為は、人も巻き込んで価値を下げようとすることでさらなる問題を生み出します。いま、会社や友人関係で悩んでいる人は、自分を責めている限りその問題から抜け出せないと思った方がいいでしょう。
自分を責める声は誰の声か
次に思い出して欲しいのは、自分を責める声は誰の声で、あるいは誰の口癖で再生されるか?ということです。私で言えば、「ほら、失敗した。身の丈に合わない仕事に挑戦するからこうなるんだ。お前は満足に仕事ができないダメな奴なんだからどうせ今の対応だってまた失敗するに違いない。お前はいらない人間だ。」というセリフですが、いま思い返してみるとこれは完全にうちの母親の言葉です。細かいところは今の問題に言い換えているものの、母は私が失敗するごとに「ほらね。失敗した!」とさも私ができないことをわかっていたかのように言いましたし、「あんたを生まなければよかった。」と苦しそうに吐き捨てた言葉をいまでもシチュエーション込みで鮮明に思い出せます。私を責め続け、社会人になった後も新たな人間関係の問題を生み出し続けてきたのは、幼い頃から浴び続けてきた母親の呪詛の足枷だったのです。
私を責める厳しい母親の側面だけではありません。むしろ、私が家を離れて社会人になってから母は優しくなりました。LINEで毎日のように連絡を取り、「仕事がしんどいんじゃないの?そんなに働いて大変そうだから仕事なんてやめて実家に帰って来れば?」と言ってきます。私は今の仕事が楽しいので、基本的に帰るつもりは全くないですが、「心配してくれているんだな。」と感じましたし、前述のように仕事で失敗して自分でせめてドン底の精神状態にいる時などは、母の言う通り実家に逃げ帰ってしまいという衝動が生まれた時も何度もありました。『母と娘の「しんどい関係」を見直す本』の最初の方の章にまさしく、心配する母親の声に従い、「いい娘」として母の要望のままに会社を辞めて実家に帰ってしまい、会社への未練から後悔し続けるという娘の事例も掲載されています。
冷静に読むと、「親のために仕事辞めるとか、それで何の解決になるんだ?」と呆れてしまうような事柄ではありますが、私もその状況にいた人間なので気持ちは痛いほどわかります。大人になるまでの20年ほどを、行動を先回りしては「ほらね。失敗した!」と嘲るような親の元で育った場合、無意識に「親の言うことはすべて正しい。」という概念を植え付けられてしまっているのです。
その結果、親の気にいるような選択肢を無意識で取ってしまっている「孝行娘」が生まれてしまいます。そうすると、無意識のうちに親の望むことを達成しようとするあまりどんどん本来自分がやりたいと思っていたことを遠ざけ、知らない間に「母のやりたいと思っていたこと」を叶えるための人生になっていってしまいます。そう。母も母で、子供時代に自分のなりたかったものにはなれなかったのです。その無意識の満たされなさを子供にぶつけ、自分の達成できなかった人生を子供を使って達成しようとしてしまうのです。これを大人特有の建前や上手な物言いで表現した結果が、厳しさと優しさの手綱を上手くさばいて子供を依存させ支配下に置く母親の出来上がりです。
母も自分も救う
こうして母娘で足を引っ張って同じ沼に落ちていって、何が解決できるでしょうか?母は娘を自分のできなかったことを達成するための娘に育て上げて自分のできなかったことを達成しようとすることを生きがいとしますが、いざ本当に自分の代わりにうまく行こうものなら今度は嫉妬して邪魔してくるでしょう。そして自分と同じく「自分の人生を生きれなかった」という状態に引き下げることで、同レベルもしくは自分より下の状態を見て無意識に満足するかもしれません。母もまた、自分のできなかったことを娘で解消しようとしても無駄だと無意識レベルで知っているのです。それでも娘にお金も時間もかけてきたし、もう一度自分の人生を無駄でなかったと思いたい。とはいえ、自分よりうまくいって自分を捨てるような事があってはならない。このアンビバレントな気持ちを行き来する母親は、最終的に更に自分より弱い存在である孫を欲して娘に早く結婚しろと迫るでしょう。これでまた言う通りにして結婚し子供を作ったとしたら、その子供に対して自分が母親にされたことをしてしまうことは必至です。こうして満たされないまま次の世代に自分の人生を全うさせようとする負のループは血の続く限り受け継がれていってしまいます。不毛な家庭を作り続けていくのは全く意味がありません。わかるべきは、自分の人生は自分の人生でしかなく、誰かを使って全うし満足いくものにできるようなものではないということです。母は母、娘は娘個人の人生として満足いくものに自分が変えていかないと、一生どころか死んで次の世代、またその次の世代でも解決ができません。一見、職場で起きている人間関係の些細な問題の蓄積は、全て過去の枷から来ている問題で、あなたは過去に生きる母親にコントロールされ、過去の問題をひたすら繰り返し再生して未来を削っているのです。それを辞めて、母も娘もこれからの自分の人生という未来に生きること。未来をイメージし、自分の理想の人生としてあるべき状態に持っていくことこそが、人生を幸せに、今の人間関係も正常に戻すただ一つの方法なのです。
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