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2016.05.18 WED - 読書ブログ

毒親 過保護、過干渉 関わり方を間違える親子『母親はどうやって子離れするか』佐藤亜貴子著

5分で読めるシリーズを活用しましょう

こんにちは!一月万冊の大山です。今回は5分で読めるシリーズ『母親はどうやって子離れするか』佐藤亜貴子著をご紹介します!家族の問題というのは、閉じた世界観にいる親子の問題なので、なかなか友人などにも相談しにくく一人で抱え込んでしまうことが多いものだと聞きます。私もそれには覚えがあり、私の母は自分に厳しくまじめな人で、よく「おじいちゃん(母にとっての父)はA型だから、その血が私には流れていて、几帳面なのよ。私はO型だけどO型じゃない!パパと同じO型だとは思えない。パパとあんたはマイペースでだらしない。見てると心臓が悪くなる!」と言っていました。その言葉の通り、いつもマイペースなO型らしい父と私にイライラし、カリカリしながら何をするに付けても不機嫌なオーラを出しており、父は休日でも家に寄り着かず、私はいつも母の爆発が起きないように願いながらひっそりと暮らすように努めていました。

しかし、そんな居心地の悪い家のことを友達に言おうものなら、それが友達の母親に、そしてその母親の友人にと伝わって、まわりまわって母の耳に入ってしまうであろうことは子どもの私にも想像出来ましので滅多なことでは家庭の問題は友人には相談しませんでした。高校進学で地元を離れてから、我慢できずに親友にぶちまけたこともありましたが、「お母さんはりっぴーを思って言ってくれてるんだよ。」と諭され、なんとなくがっかりした思い出があります。親友こそ、私を思って言ってくれている。そんなことはわかっているんですが、その時の私はもっと感情的に寄り添ってくれて「わかるよ。大変だね。」と言ってほしかったのかもしれません。そうしたときに、すぐ読めるこういった本があればまた状況も違ったのだろうと思います。


manincage-e1451216620629-300x127子離れは難しい

親は子どもにたくさんの期待をし、のめりこんでいきます。この本のまえがきにも書いてありますが、「母親は父親と違い、子供をお腹の中で育むことから育児が始まるので子供に対する愛着が父親のそれとはかなり違う」のかもしれません。「愛着」という言葉で表されるほど愛情を賭けられたような気はしていませんが、「執着」はあったように思います。今まで親元にいた18年間で数え切れないぐらい、「あんたを生むときは大変だった。」「死ぬ思いをして生んだんだから感謝しなさい。」「へその緒がクビに巻き付いていたから、しんどくてすごく時間もかかったのよ!」という、いわゆる「誕生時大変だったエピソード」を聞かされました。本人的には頑張った自分への勲章だったのかもしれないし、単なる思い出話の一環として思い出したから話したかっただけなのかもしれません。それは、数多くの毒親本にも書いてあることですが、母親の放つ言葉は大体、思いつきだったり何気ないことで本人は言ったことも忘れているというのが大半なのだそうですが、聞く側の私からしてみれば「お前は加害者だ。私を苦しめた。一生を持って償え。」そう言っているように感じられました。

母親からしてみれば、子供が生まれてからの母親としての人生がスタート地点で、「母としての自分」を持ち前のA型気質で完璧にこなそうとするあまり、吐き出し口が必要だったのだろうと今では分かります。「完璧な母親」になろうとしていく過程で、他の家の母親を批評しては距離を置き、独自の理想像めがけて髪振り乱して走り抜けていったような印象すら有りました。その母親の目指す最終ゴールは、「完璧な母親に育ててもらって立派な大人に育ちました。これからは私がお母さんを支えるね。」と大きくなった娘達に言われることだったのでしょう。気持ちはわからなくはないですが、重い。重すぎる。理想の母親を演じる延長線上にある、理想の子供たちしか見えなくなった母親の独走態勢は、家庭という世界を閉じさせて行きます。自ら、「私には子供しかいない。子供をしっかり育て上げることこそ人生の命題だ!!」と決めてしまった母親が、子離れをするというのはそれこそ作り上げてきた人格を全て作り替える大がかりな作業です。


過保護・過干渉になりがちな親

自分の夢を子供に背負わせようとする親は過保護・過干渉になっていきます。過保護なのは子供に対する愛情ではなく、理想の母親として振る舞う「なんでもやってあげられちゃう母親」である自分に対しての愛情です。同じように、子供は泣いたりゆっくり行動したりすることに、せかせかと急がせ泣くことを叱り、何でも先回りして「それみたことか」とドヤ顔をする過干渉の母親もまた、世間の中で「しっかりした母親」と見られたいがための行動です。親が子離れすることは、単に子供から距離を置いたり手を出さないようにすればいいという話ではなく、まず大前提として母親が自分の理想の母親像へのこだわりを裁ち切り、真に子供のためを思って子供の人生をサポートする存在になることが肝要なのです。

そうした母親から干渉されてそれこそが正しいという世界観に育てられた子供は、また同じように自分が親になったときに「完璧な親」であることを目標に据えてしまいます。こうして、毒親に育てられた子供は毒親2世となってしまうのです。それを防ぐには、母親が自分を完璧洗脳から救い、母親は母親としてではなく一人の人間として。子供も子供としてではなく一人の人間として、共同生活を営む人間同士として尊重しあい助け合う関係性になることが求められます。
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大山 莉加Rika Ooyama

ビ・ハイア

ビ・ハイア株式会2010年に正式入社。 千葉県茂原市出身。昭和62年11月19日生まれ。 専修大学文学部2010年卒業。

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