2016.05.02 MON - 読書ブログ
親からの虐待に気づいていなかった娘が書く『「毒親」の子どもたちへ』斎藤学著 を読んで
こんにちは!一月万冊の大山です。ここのところ毒親・AC関連の書籍のレビューを連投しています。もう少しお付き合い願えれば嬉しいです。なぜならば、どんなに問題の無い家庭に育ったという自覚があったとしても、誰しも毒親に育てられている可能性が高いからです。「毒親」という言葉は、スーザン・フォワード『毒になる親』で使われたのが最初だと言われています。自分の身に起こっている問題や悩みには、親との因果関係があります。毒親は子どもの人生を支配して、子どもに害悪を及ぼす親のことです。いま、自分の人生がうまく行っていないと思っている人は毒親に育てられたという可能性があります。
私自身、つい最近まで自分の親が毒親だとは思っていませんでした。ネグレクトされたわけでも、大けがするほど殴られたわけでも、餓死寸前まで食べ物を制限されたわけでも性的暴力があったわけでもないからです。しかし、思い返してみると「あんたなんて生まなきゃよかった。」と言ったような言葉や、妹と区別され虐げられる生活、友人を家に招き入れてはならず親の課した目標に向かって勉強や家事をさせられ、一切褒められることも無く自信を奪われコントロールされた子ども時代はまさに、害悪として大人になった私の自信をも奪っているということに気づいたのです。親からのコントロールによって私は親をの行動の全てを、「私のためにやってくれていたことだ」と思い込まされていたのです。この文章を読んで少しでも自分の親に「あれ?」と思うことがあったらぜひこの本を読んでみてほしいと思います。
毒親に育てられるとACになる
毒親に育てられた子どもは、ACになることが多いです。ACとは「アダルトチルドレン」の略称で、その特徴は他人の欲望を取り入れて生きる共依存者であるということです。大人になってからも自分の感情や自分の欲望を持てないという点で共通しています。感情面での特徴としては下記の項目があります。
・周囲の期待に添おうとする
・何もしない完璧主義者である
・尊大で誇大的な考えを抱いている
・「NO」が言えない
・しがみつきを愛情と混同する
・被害妄想に陥りやすい
・生活の中に楽しみを見出すことが苦手
・表情が乏しい
・環境の変化を嫌う
・他人に承認されることを渇望する
・自己処罰の傾向がある
・現実感喪失を伴いやすい
ちなみに、私はほとんどの項目に当てはまりました。
・周囲の期待に添おうとする
「見捨てられる不安」があるため、常に空気を読んで周囲の期待に応えようとします。
・何もしない完璧主義者である
失敗したくないから何もせず、自分の評価を落とさないようにすることに余念がありません。
・尊大で誇大的な考えを抱いている
自己評価が低い故に本当の自分を隠そうと躍起になって、高慢な嘘をついたり誇張した表現を使う事があります。
・「NO」が言えない
嫌われたり見捨てられたりするのが怖いせいで「NO」が言えず自分を押し殺してその場を保とうとして自滅します。
・しがみつきを愛情と混同する
恋人が出来ても、好意を心の底から信じることができず、「ほんとうに好き?」と自問自答してはわざと嫌われるようなことをして相手を試したりしています。
・被害妄想に陥りやすい
他人から良い評価を受けても、その裏を読んで勝手に落ち込んで被害妄想に陥ります。
・生活の中に楽しみを見出すことが苦手
楽しむことに罪悪感があるので、休むべきときに休めません。
・表情が乏しい
不安なとき、悲しい時ほど無表情になり、やり過ごそうとして本気で怒ってくれている人にはなしのつぶてに見えてしまいます。
・環境の変化を嫌う
上述したような行動を取っているとすごく生きづらそうに見えるにもかかわらず、自分が我慢することで生き残ってきた成功体験があるので、そこから変わるのを極端に嫌がります。
・他人に承認されることを渇望する
我慢が耐えきれなくなって「誰からも認めてもらえない」という気持が蓄積すると一気に爆発して極端な行動を取るときがあります。
・自己処罰の傾向がある
そんな爆発ですらも許せず、自分を処罰しなければ気が済みません。我慢しきれない自分が嫌で、自殺未遂をしたこともあります。
・現実感喪失を伴いやすい
自分を第三者のように見つめ、何もかもどうでも良くなるようなときもあります。
全てでは無くても「私も思い当たる。」とか「お母さんに似ている。」と思う部分があったのではないでしょうか?逆に、一つも当てはまらない方がおかしいと思います。完璧な人間も、完璧な親もいないのです。人間として社会生活を営みながら、一人の子どもを社会に送り出す上で何も問題が発生しないとは思えません。
完璧を追い求めるテレビ洗脳
親を毒親にし、毒親の子供たちをアダルトチルドレンにしてしまう社会の裏には、「完璧さ」を追い求めさせる洗脳があります。テレビドラマなどでよく見られる「完璧な家族像」。親同士が仲が良く、家族全員で食卓を囲み、一軒家で和やかな暖かい家庭。理想の家族像を思い浮かべてくださいと言われて、似たような回答になった場合は、きっと外部の誰かに洗脳されています。1億人の人が生活する中で、本来自分の心から理想だと思う家族像はそれぞれバラバラで違っていて良いはずなのです。では、自分の家族ならではの理想型はなにかあるでしょうか?「家族だから」「親だから」「娘だから」当たり前、と自分を何かの枠組みに押し込めていないでしょうか?
私の母はよく「家族なんだから」「あなたは長女なんだから」「親として」という言葉を使っていました。彼女自身、「理想の家族を作るために、完璧な母親でなければならない。」と自分に課していたのかもしれません。もともとまじめな性格で「主婦とはかくあるべき」と言わんばかりに、私がまだ小さい頃は料理教室やパッチワーク、トールペイントなどの教室に通っていました。それが、有る日突然それらのお稽古事を全部やめて家で内職を始め、思えばそこから恨み言や「こんなはずではない」と言ったような言葉が飛び出すようになりました。母は母で、「理想の専業主婦」から外れてしまった自分の人生を嘆き、完璧じゃ無いなら意味が無い!と自分を責めていたのかも知れません。変化に合わせて、その中で何に幸せを感じるかにフォーカスして作り上げていくのが自分の人生を幸せに過ごすことにもかかわらず、テレビなどのイメージで作り上げられた「理想の家族像」に圧迫されて、それを目指しては挫折し自分を責める家族が多いせいで毒親とアダルトチルドレンは作られます。理想を追い続ける不毛な努力は辞めにして、今目の前にいる家族をどう幸せにするか。自分自身の本当に幸せな状態とはどういうものかを考えることが、解決につながっていくのでは無いでしょうか。
新着記事
-
2020.03.04 WED
-
2020.02.24 MON
人気ランキング
-
2016.05.05 THU
-
2016.05.22 SUN
-
2017.07.18 TUE
-
2014.04.10 THU
-
2014.12.10 WED