2016.04.30 SAT - 読書ブログ
アラサー アダルトチルドレン『結婚できないのはママのせい?〜娘と母の幸福論〜』五百田達成 桜場江利子著 を読んで
お久しぶりです!一月万冊の大山です!更新は止まっていましたが、相変わらず最低1ヶ月100冊ペースは守りつつ読書に励んでいます。そんな私が渋谷の丸善・ジュンク堂書店に1人でぶらっと行ってきたゴールデンウィーク初日。たくさんの人がそれぞれ本を探しに来ている中で、私にも今回大きく明確なミッションがあり、ある一つの棚をめがけて足を進めました。それは、「親離れ・子離れ」についての本を10冊買うこと。ジャンルは「人文」。普段は余り手に取りにくいジャンルかもしれません。実際、新書や小説の棚には人があふれかえっていましたが、私が行った時には人文の棚には私以外の人はいませんでした。
親離れ・子離れする方法と聞いて、昭和の人間なら佐野史郎と野際陽子が演じた「冬彦さん親子」のようなマザコン家族を思い浮かべる人もいるかも知れません。しかし、平成の現代の「親離れ・子離れ」はそうしたわかりやすい母息子問題ではなく、むしろ母と娘の関係性における「アダルトチルドレン」の問題が取りざたされています。今日取り上げるその本はまさに、書店の「アダルトチルドレン(AC)」と書かれた棚の中に陳列していました。たくさんの背表紙が並ぶ中、表紙が表になって並べられたその本の帯には「もう、ママを解雇しよう。恋愛、仕事、人間関係・・・・・・。なんだかすべてがうまくいかない それは、お母さんとの関係が原因かもしれません。」という文字が、表紙のタイトルよりも大きく印刷されています。それを見た瞬間、「これだ」と思うより先に手が伸びていました。
アラサー独身、仕事命。実家には帰りたく有りません
アラサー独身、仕事命。実家には帰りたく有りません。まごうことなきこの私のことです。今回「親離れ・子離れ」についての本を購入しようと思ったのもまさに、アラサーで独身で仕事に忙しく、恋愛もうまくいかず、家族から結婚を急かされ実家に戻ってこいと乞われ、自分の人生がなんだかどん詰まりに陥っているかのような感覚に襲われたからに他なりません。帯に書いてある「恋愛、仕事、人間関係・・・・・・。なんだかすべてがうまくいかない」これはまさに私のことを2行で全て表したかのような秀逸なキャッチコピーでした。この本を開いて1ページ目の「はじめに」では、「母親との関係が苦しいのはなぜ?」という問題提起がされています。そう、私と同じようにこの本を手に取る娘達はみんな母親との関係が苦しいのです。
「生まなきゃ良かった」が耳に残って離れない
私が母を思い出すとき、いつも「あんたなんか、生まなきゃ良かった!」とヒステリックに叫ぶ姿を思い出します。母はいつも、「結婚が間違いだった。あんたさえ生まなければ私がこんなに苦労することもなかったのだ。」と苦しそうに言いました。その言葉は、幼い私が「私はいらない子だったんだ。」「結婚とは、辛いものなのだ。」「母を不幸にしているのは、私だ。」そう思わせるのに十分な呪いのような言葉でした。その後、5歳離れた妹が生まれると、母は妹にかかりきりになり「あんたが愚図だからそうならないように妹の名前を考えた。」とか、「妹が生まれるときはラクだったけど、あんたはへその緒が首に巻き付いていて大変な苦労をさせられた。殺されるかと思った。」などと、妹と私を比べて貶めるようになりました。
加速する妹贔屓
妹が大きくなってくると、母のマネをして妹も私に対してぞんざいな扱いをするようになります。私を階段から突き落としたり、まぶたをエンピツで刺したり、「なんでお前が姉なんだ。」と毎日二段ベッドの下から蹴り上げられました。しかし、それを母に訴えても「妹のせいにするんじゃ有りません。あなたはお姉ちゃんでしょ。」「あなたが妹が欲しいと言ったから、生んだのよ。」と言われ、絶対的に私に非が有るように教え込まれました。「妹がしたことはすべて、妹が欲しいと言った私の責任である。私だけが悪い子で、責任を取らなければならないのだから妹のように褒められたかったら、良い子になって見せなさい!」そう言われているかのようで、母に褒められることだけを目指して一生懸命に水泳、英語、そろばん、勉強をこなしました。
しかし、100点を取っても褒められることはありませんでした。中学入学の最初の英語のテストで100点を取り、クラスで1人、前に呼ばれて先生に褒められたことを母に報告した際も「ふん、そんなの当たり前。ECCに通わせたんだから。で、他の教科はどうなの?」と言われ、他の教科で100点じゃ無いことを叱られました。妹は要領よく、幼稚園の全学年で1人しか選ばれない鼓笛隊の総指揮に選ばれたり、水泳も私よりめきめき上達して選手育成コースに引き抜きに合い、ジュニアオリンピックを目指すためサイパンに合宿に行ったりと母のお眼鏡にかなう活躍をし、褒められ、キーボードなどたくさんのご褒美を買ってもらっていました。その間、私は私でそろばんの大会に出場し入賞したり、標語で金賞を取ったり、美術や書き初めで先生から褒められることがあったにも関わらず、なぜ母は褒めてくれないのか、母の基準はどこなのか見失っていました。どれだけ頑張っても母は私ではなく妹を褒める。学校でいじめられていると訴えても「そんなのほっとけば良いのよ。」と投げやりな回答です。妹と私の待遇差がなぜなのかが分からない以上、「嫌われている」と思わざるを得ませんでした。やはり、生まれてくるべきでは無かったのだという思いを強くし、自殺未遂も行った幼少〜小中学生時代でした。
大学進学を機に家を出る
幼い頃から母は私に、「筑波大の医学部に行け」と言い続けてきました。それは、祖母の自宅が茨城にあることと、国公立で費用が安く、医者という安定した職業に就くことを期待して言っていたのだと今になってはわかります。しかし、私は幼い頃から図書館が好きで読書が好きな典型的な文系で、途中で母も向いていないと思ったのか「国公立の法学部に行って弁護士になりなさい。」というようになりました。そのためにも、地域で一番の高校に入ることを義務づけられ私の机の壁には「〇〇高校合格!」「不合格は死」と筆文字で張り紙をして勉強に臨みました。しかし、結果は不合格。その時の母の落胆ぶりはすさまじく、滑り止めだった私立に行くことになったことへの恨み節は止まることを知りませんでした。しかし、私はこの私立高校に行くことによって今も縁が続いている一生の友達と言える友人達に出会い、恩師に出会い、小中学生の頃のいじめられ、家庭に助けもなくて自殺未遂をした私とは、明らかに打って変わって性格も明るくなりました。一番仲の良かった友人の勧めで生徒会選挙に挑み、副会長に当選しました。当然母は褒めてくれませんでしたが、責任感を持って楽しく生徒会の仕事をこなしていました。しかし、受験期になって妹の水泳の練習も厳しくなり、私が早く帰って妹の弁当を作り、家事をこなしながら受験勉強を同時進行せざるを得なくなったとき、母は家事のあらを探し、勉強が進んでいないことをなじってくるようになりました。そこで私は限界を感じ、受験する大学をわざと家から遠いところに設定して、結果的に一人暮らしに成功しました。
家を出てからも続く母の呪縛
大学進学とともに家を出てだいぶ経ちますが、やはり実家にいたときの母の恐慌はまぶたのウラに焼き付いて離れませんし、恋愛をしても「愛されているかが不安」で母にもらえなかった愛情を相手からもらおうと必死になったり、仕事で成果を出せていないと「私は居ない方がましだ」と考えている自分に気づきました。私のネガティブな考え方の全ては、母に植え付けられたものだった、と気づいたのはほんの最近です。そして、この『結婚できないのはママのせい?〜娘と母の幸福論〜』を読んで一層確信を深めました。いま、なぜか結婚できずネガティブで、仕事や恋人に依存してダメにしてしまっていると感じている娘のみなさんは、是非読んでみてほしいです。離れていても、母の言葉の呪縛は重くのしかかります。それを断ち切るには、同じように娘と母の問題で悩んでいる人がたくさん居て、それが未来の方向を向いて自分に自信を付けることで解決できることだと知る事です。
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