2014.03.11 TUE - 読書ブログ
親鸞とイエス・キリストの共通点 悪人正機と神の無限の愛
親鸞の強烈な言葉の一つ、歎異抄の悪人正機。現代語で言えば『善人でさえ救われるのだから悪人は尚更救われる』と言う言葉。え??どういうこと??逆じゃないの??と思われるかもしれない。親鸞的には善人は、善人であるが故に、徳を積んでいる、善行を積んでいるという奢りが産まれる。良いことをしているのだから救われて当たり前だ、という気持ちが出てくる。その気持ちは仏の教えに沿わない。仏の慈悲は人間の想像できる範囲を圧倒的に超えている。救いの心はとにかく広く、深く、とてつもない。だから人間の基準で善行、徳を積むなんてことを考えるよりも、ただ仏の慈悲にすがる方がよほど素直である。悪人は悪人故に善行を積んでいないので仏の慈悲にすがるしかないと素直に思える。自力で良いことをしていないので全てを委ねられる。
要するに、人間の尺度で良いことをしたから救われる、なんて事を考えても意味が無い。仏の慈悲はそんな想像を超えて皆さんを救ってくれますよ、と言う言葉だ。一切他力だよね。何でこんな事を親鸞は言ったんだろう。それは、当時の権力者達に対する強烈な批判が入ってるんじゃないだろうか。そもそも、一般人が考える『良いことと悪いこと』の基準なんて時の権力者達が決める。文化や国によって『良いことと悪いこと』の基準なんてコロコロ変わる。ということは『良いことをしたら救われますよ』という教えにしてしまうと『良いことと悪いこと』の基準を決められる権力者達の奴隷になるしかない。親鸞はそんな世間で言う『良いことと悪いこと』の基準に振り回されなくていいんだ!仏の慈悲は偉大だから全員救われる!安心しろ!時の権力者の言葉に惑わされるな!と言いたかったのかもしれない。実際、仏教だって時の権力者達に助けてもらわないと宗教として定着しなかっただろう。そういう意味では、仏教側にシャカの教えを歪めて時の権力者達にすがる人だっていたかもしれない。そんな状況に対する強烈な批判としてこういう言い方をしたのかもしれない。だとしたら、親鸞という人は相当なる熱血漢だ。
同じようなことをしたのがイエス・キリストだと思う。イエス・キリストは当時の教会が権力を持ち、教会に赦されたら天国に行ける、と言う風潮に対して激しく批判している。神の愛は人間が想像できるモノじゃない!無限だ!誰だって救ってくれる!全て神が決めるのに人間が何をしてもおこがましい。神は無条件勝つ無限にに人間を愛している!と言っていたはず。
神の愛は無限で無条件だ!というイエスと仏の慈悲は全てを救うという親鸞は凄く似ている。イエスも、シャカも、親鸞も、おそらく『ものすごく愛情深く、いい人』だったんだとおもう。それこそ、とてつもなく凄く、一般人からは理解できないくらいのどでかい愛情を持った聖人だったのだと思う。彼らからしたら『良いことをしたら救われますよ』なんて教えは一部の権力者を肥え太らせるためだけの思想にしか見えなかったのだろう。更に言えば、イエスも親鸞もシャカもその権力者すら救いたいと思っていたはずだ。だって、いくら自分の元に権力と富を集中させても真の意味では幸福になれないし、可哀想だ、何とかしてあげたい、と思っていただろう。
一般人も、権力者も全てをまとめて救う思想として『人間の考える基準で良いことも悪いこともない。全ては神(or仏)によって全て救われるから安心せよ』と言ったんだろうなあ。強烈な情熱とどでかい慈悲と愛情を感じる。
さて、現代も『良いことをするから救われる』という思想がまかり通っている。その基準は権力者が決めているのは変わらないけど、現代人が求めるのは神の愛、仏の慈悲を通じての救いではなく『お金を通じた救い』だ。
現代において働かない者は悪である。稼がない人間は悪だ。働かざる者食うべからず、とすら言われている。要するに働かない人間は餓死せよ、と言うことだ。これは誰が決めた?『別に働かなくてもいいじゃないか』という考えはどうして駄目なのだろう。世の中には労働しないものは悪であるという空気に満ちている。黙って頑張って働く事、それこそが良いのだ、という空気に満ちている。この空気の中で働かない自由を選べる人は殆ど無いだろう。しかし、逆説的だが無意識下で本当は嫌なのに働いている、と思うとその人の生産性は上がらない。とするとその人も、その人を雇っている会社も、その会社を通じてサービスを受けるお客も全てが不幸になる。
働かざる者食うべからずの基準を決めているのは現在の権力者だ。権力者が『良いことと悪いこと』の基準を決めている。別に働かなくてもいいじゃないか。馬車馬の様に働いてぼろ雑巾になる事を求められているこの社会で『別に働かない人だって悪いことをしているわけじゃない』という考えを頭のどこかにおいておかないと自由に働く事すら出来ない。無意識の内に『働かない=悪いこと』の価値観が刷り込まれて嫌々働く事になる。
働き者でさえ救われるのだから、ニートはなおさら救われる
という『ニート正機』という思想がそろそろ生まれてもいいのでは無いだろうか?働き者だから良いことをしている、ニートだから駄目だ、というのはもういらない。それは本当に働いている人も全員が不幸になる。なぜなら、人間というのはやりたいことを心からやっているときにこそ、圧倒的な生産性を誇る。働かざる者食うべからずの空気が満ちているとその心からやりたいことを見つけにくい。それは社会全体にとって、今働いている人も、資本家も、労働者も、ニートも全てにとって不幸なのだ。
清水 有高Yukou Shimizu
ビ・ハイア株式会社 代表取締役
一月万冊 清水有高(しみずゆうこう)滋賀県出身。元不登校児、母子家庭育ち。ビ・ハイア株式会社代表取締役。滋賀県立大学人間文化学部卒業。ベンチャー役員、上場企業役員などを経験しコーチ、投資家、経営者として活動中。東京大学を始め各種大学でも講演多数。コーチングと読書を経営に活かし営業利益1億円以上、自己資本比率70%の会社を経営。8年間でスタッフ1人あたりの営業利益を100倍以上にする。
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