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2014.03.08 SAT - 読書ブログ

『全部自己責任、という考え方は実はかなりヤバい』

『全部自己責任、はヤバい』

今日は自己責任とは何だろうか??とふと思った。
クリスマスも近い。もう、大分寒くなってきた。

今日の読書、ジョン・ロック 統治論、トマスホッブス リヴァイアサン、などなど。

恋人を口説く時だけ力を入れて、プレゼントを贈り、メールにもすぐ返事をして、つきあい始めてしばらくしたら思いやりのある言葉もおくらず、小さなプレゼントも贈らず、それどころか喧嘩ばかりしていて別れる事になったら?そんな人を見てあなたは

『自業自得、自分の責任じゃないか』

と思うのでは無いだろうか。私もそう思う。

では、こういうケースはどうだろうか?12月にもなり、冬は寒い。日本にもホームレスが1万人近くいる(厚生労働省調べ)。そんなホームレスの一人が年を越せず、一人凍死したとする。そんなホームレスを見て

『自業自得、自分の責任じゃないか』

と思う人はどれくらいいるだろうか?それなりにいるのでは無いだろうか。特に、厳しいビジネス社会で成り上がってきた人ほど、こういう意見を持つ人が多い。私も大変な中、頑張ってきたんだ。だから、お前もホームレスになる前に何とか出来たはずだ!そういう思いを持つ人もいるかもしれない。他には、可哀想に・・・何とかならなかったのかな、と哀れみを感じる人もいるだろう。

では、放射能被害に遭いながらも福島に住んでいる人にとって、放射能被害は自己責任なのだろうか?どこにでも引っ越せるはずである。放射能のことを知ってからも福島に住んでいるのだから自己責任だ、なのだろうか?

更に言えば、遺伝的な病で難病になって動けなくなった人に対して『病気になったのは自己責任だ』『病気になっても生きていきたいと思っているのはあなただ。だから、死ねば苦しくない。でも生きたいのならその苦しみも含めて自己責任だ』というのはどうだろうか?

1.怠慢のせいで恋人に別れられてしまった人
2.失業のせいでホームレスになり冬を越せず凍死した人
3,放射能被害に遭いながらも福島に住み続ける人
4,遺伝的難病に苦しみながら生き続ける人

この4パターンを出してみた。この4パターン以外にも、世の中には無限と言えるパターンが存在し、そのどこからどこまでが『自己責任』なのだろうか?

1についてはわかりやすく『自業自得、自己責任』と言う人が多そうだ。では、2~4は?これはかなり意見が分かれてしまうのでは無いだろうか。私たちはこれについていくらでも議論をしていいと思う。

しかし、絶対に『自業自得、自己責任でしょ?知らないよ』と切り捨ててはいけない存在がある。それは国家だ。国家が国民に対してこれを言い出したらやばい。

ホームレス?凍死した?自分のせいでしょ?
放射能があるとわかって住み続けている?自分のせいでしょ?
遺伝的難病で苦しんでる?治らないとわかってるのに?その苦しみは自分のせいでしょ?

こんなことを言い出したらどうなるだろうか?それは恐ろしい社会になるだろう。個人と個人の取引、約束においては確かに自己責任は正しいのかもしれない。会社だって売上が10兆円あったとしても、日本の法人企業売上全てを合計した1,300~1,400兆円に比べれば、所詮は小さなものだ。従業員が10万人いても、日本国民1億人以上から比べれば小さすぎる。個人と個人、企業と企業の取引においては自己責任は正しいのだろう。

しかし、国家というのはそういう小さな単位を超越したとてつもなく巨大な単位だ。私たちは一個人として、国家と相対するのはあまりにも小さすぎる。だからこそ、私たちは国家を憲法で縛る。一個人として存在するだけでは色々不都合があるから、全員で集まり、国家を形成する。そして、その国家権力を持つ存在が暴走しないように、国家を憲法で縛る。

最近は、ありとあらゆるところに市場原理主義が横行している。個人の自由に任せていれば、市場に任せていれば全てうまくいく、それが市場原理主義のスローガンだ。確かに、ビジネスにおいて自己責任は重要だし、守られるべきだ。しかし、それと同じ感覚で社会を運営する国家との約束まで『自己責任論』を持ち出し始めるとあまりにも歪な社会が産まれる。

個人が個人と相対する時の自己責任論
個人が会社と取引をする時の自己責任論
それらとごちゃまぜにして
国民が国家と取引をすることすら全て自己責任である

と言いやすい風潮が作られているのでは無いだろうか。そうなった時、国民は国家に圧倒いう間に収奪されるだろう

自己責任と言う言葉はどことなく、厳しさと共に格好良さをはらんでいる。魅力的な言葉とも言える。

自己責任で成長する
自己責任で頑張る
自己責任でなんとかする
自己責任で成功する
自己責任、自己責任、自己責任、自己責任、自己責任、自己責任、、、

このような表現は確かに格好いい。実際私も、自分の会社の経営を全て自己責任で切り盛りしている。そして、それは楽しい。ただ、この感覚で国民と国家の約束まで全て自己責任である、としたらとんでもないことになるだろう。

そんなバカな、と思われるかもしれない。しかし、現実問題として大学の学費はこの10年でかなり値上げされた。貧乏な家庭が奨学金も受けられず大学に行けないことは自己責任なのだろうか?無理をして奨学金を借りて大学に行ったけど返せないのは全て自己責任だろうか?

更に、難病指定の医療保険の個人負担の金額が上がった。今年の10月に厚生労働省が『今まで医療費が無料だった難病重症患者の医療費見直し案を発表した』ことを知っている人はどれくらいいるだろうか?この案によると、重症患者の方でも一定の収入があれば、最大で年間53万円の負担が発生するらしい。この難病指定に当たる病人は8万1,000人いるらしいが、彼らは全て『自分の病気は自分で治す金額を負担しなさい』なのだろうか?

他にも今月12月のニュースでは、東京都がぜんそく助成を廃しする事を決めたらしい。ぜんそく患者の医療費無料制度を二〇一五年三月末で撤廃するらしい。理由は『患者が少ないから』と新聞に載っていた。では、ぜんそくで苦しむ患者は『自己責任で医療費を稼げ』と言うべきなのだろうか?

他にも、電気代が高すぎて工場を外国に移転した企業が沢山ある。当然、日本で働いている人はリストラされた。彼らは全て自己責任であり、誰も助ける必要の無い存在なのだろうか?

普通の社会人は働いている時間が非常に長い。1日8~10時間ほど働き、通勤時間が往復で1時間以上あれば、起きてる時間の大半が仕事時間になる。そうすると『社会=会社』になりかねない。しかし、当たり前だけども国があって、会社があって、働いている。会社が全てではない。この社会は国があって、会社がある。

それを忘れてしまうと、ついつい全てを『仕事の感覚』『ビジネスマン』としての感覚で処理してしまいがちだ。しかし、私たちはビジネスマンであるのと同時に日本国民でもある。ビジネスマンとしては自己責任を振りかざすのもいいが、日本国民としてまで全てそれをやることは自分の大切な権利を自殺に追いやりかねない。

それどころか、自分たちの大切な権利がドンドン死んでいくことにすら気づけない。一つ言えることは『国家の主人は国民である』ということだ。ならば『どんな国家にするのか』については私たちに委ねられている。むちゃくちゃなことを言う国家にしていくことも、そうじゃない国家にしていくことも私たちに委ねられている。

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清水 有高Yukou Shimizu

ビ・ハイア株式会社 代表取締役

一月万冊 清水有高(しみずゆうこう)滋賀県出身。元不登校児、母子家庭育ち。ビ・ハイア株式会社代表取締役。滋賀県立大学人間文化学部卒業。ベンチャー役員、上場企業役員などを経験しコーチ、投資家、経営者として活動中。東京大学を始め各種大学でも講演多数。コーチングと読書を経営に活かし営業利益1億円以上、自己資本比率70%の会社を経営。8年間でスタッフ1人あたりの営業利益を100倍以上にする。

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