2014.08.31 SUN - 読書ブログ
寿命とは幻想 平均寿命105才の世界がやってくる&15才若返る脳の磨き方
私は15歳の時に20歳にみられたり、22歳の新卒なのに30歳にみられたりしていたけど、30才を過ぎてから逆に若くみられることが多くなった。当たり前と言えば当たり前のことで、お酒は飲まないし、タバコも吸わない、読書をして頭の運動は欠かさないし、睡眠時間もタップリ(眠くなったら寝て目覚めたら起きる)とっている。更に、食べ過ぎないようになるべく腹6〜7分目に収まるようにしている。これでフツーより老けていたら、よほど多大なストレスが私にかかっていると言うことになるけど、おかげさまでそれはない。経営上のストレスがかかることもあるけど、自分で社長を選んでいるのだし、やりたくてやってるのだからネガティブなストレスにはならず、むしろ難しい問題も、難しい哲学書を読むようなポジティブな感覚で取り組める。
自己啓発書で有名な斎藤一人さんは200才まで元気に生きるつもりらしい。そういう意味では社会的に設定された年齢を無視して、自分なりの寿命を決め、そこにむかって人生をデザインしている人は本当に少ない。無意識の内に、もう20才だから、50才だから、70才だから、と行動してる。非常に勿体ない。人間の平均寿命なんてあやふやだ。日本の国民的マンガと言われているサザエさんのお父さん波平は54才だけど、あの頃の定年は55才。波平の原作上の誕生日は1895年で明治時代だ。その頃の統計はちょっと古くてあやふやだけど、平均寿命は50才程度だった。その時代に私達がイメージする定年65才で、その後約20年ほどの老後を暮らす、という世界は存在しない。
更に、平均寿命105才の世界がやってくる、にも15才若返る脳の磨き方にも書いてあるけど『寿命が来て死んだ人はいない』と書いてある。いわゆる生物学的なヘイフリック限界が訪れ、細胞の分裂が止まり、内臓が止まって死にました、と言う人はいない。人は『自分でそろそろ死のう』と思って死ぬ。有名なヴィクトール・フランクルの夜と霧にもアウシュビッツに収容された囚人達のうち、生きる意味を失って希望を無くした人から死んでいく、という風に語られている。苫米地英人さんの脳科学的な話でも『人生に目的を失った人の平均寿命は目的を失ってから約18ヶ月』と書いてある。出展は忘れたが、苫米地さんはアメリカの公的機関がそれを調べ、統計にしたと書いてある。日本人も似たようなモノだろう。
自分でそろそろ死のう、と思わない限り人に寿命が訪れない、あるいは寿命は実はもっと長いのであれば、寿命とはそもそも何なのだろうか。若さとは何なのだろうか。平均寿命が50歳ぐらいの時には、55才まで生きてしまったら『俺もいつ死んでもおかしくない』と思うだろうけど、平均寿命が80歳の時なら俺もまだまだこれから30年もある、と思える。その思い込み、自分にかかっている社会的洗脳は間違いなく自分の健康状態に影響が出る。
沢山読書をすると『生理的且つ先天的なモノ』だと思っていたモノが『実はただの幻想や思い込みだ』という事に気づかされる。寿命もそうだけど、性的な好み、食欲の好み、何が恥ずかしくて、何が誇らしいのかまで、ありとあらゆるものが時代によって違う。そうであれば、自分の最大の財産である人生時間も社会的な洗脳によって決めることは勿体ない。読書をしていき、自分の寿命についても一つ思い込みを外していきたい。老化する=頭が悪くなる、と言うのもどうやらただの思い込みの要素があるらしく、いつまでも元気に読書をしていきたいモノです。
清水 有高Yukou Shimizu
ビ・ハイア株式会社 代表取締役
一月万冊 清水有高(しみずゆうこう)滋賀県出身。元不登校児、母子家庭育ち。ビ・ハイア株式会社代表取締役。滋賀県立大学人間文化学部卒業。ベンチャー役員、上場企業役員などを経験しコーチ、投資家、経営者として活動中。東京大学を始め各種大学でも講演多数。コーチングと読書を経営に活かし営業利益1億円以上、自己資本比率70%の会社を経営。8年間でスタッフ1人あたりの営業利益を100倍以上にする。
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