2014.03.08 SAT - 読書ブログ
『ここを気をつけないと100万冊読んでも増えない』
今日の読書63冊。今月現時点で380冊。
ちょっと哲学的なゲーム、例え話につきあってもらいたい。
男の子が女の子を口説くときに
『愛している』
と言ったら正しく、女の子に男の子の意図は伝わるだろうか?おそらく伝わらない。男の子の意図は50〜100%くらいやりたい!かもしれない。あるいは純粋に愛していたとしても(そもそも純粋な愛とは言葉では表現不能だけど)、それが正しく伝わることはない。女の子の方は自分の視点、考え、思想、感情などのフィルターをかけて男の子からの『愛している』を『自分にとっての愛しているという言葉』としてとらえ、解釈をする。
たとえば私は珈琲が好きで、ブルーマウンテン、コピアルク、エリーゼブルー、モカ、マンデリン、、、、などなどいろんな豆を試している。そんな私が
『この珈琲おいしいよ』
と言って他人にすすめたとしよう。そしてその他人が珈琲を飲んで
『うん。おいしいね』
と言ったとする。その時、私とその他人は同じ珈琲の味を共有しているのだろうか?そんなことは絶対ない。私の中にある珈琲経験と、珈琲の知識は一般人よりもおおい。おそらく、珈琲豆代だけで相当かけている。そういう私の珈琲の味は、頭の中でいろいろな知識と混ざり合って『おいしい』になる。一方、珈琲に対して特別な思い入れもない人にとっての珈琲はただの飲み物に過ぎない。そんな人にとってのおいしいと私にとってのおいしいは絶対に違う。
つまり、言葉というのは愛しているという感情も、単純な珈琲の味覚すらもまともに伝えることができない。そんな言葉によって書かれている本達。当然、本には味とか感情以上の複雑な概念、理論、思想などが書かれている。著者が考えたとても高いレベルの知識をどうすれば、曖昧な『言葉』というもので私たちは共有できるのだろうか?
もし、そこを気にせず読みまくっているととんでもない間違いを犯すことになる。要するに、いくら読んでも無駄になるのだ。読者が自分のフィルター、自我を全面に出して読書をすると著者の言いたかったことはほとんど入ってこない。例えばキリスト教批判者が聖書を読んだとする。キリスト教批判の精神をたっぷり持って読んだとき、果たして聖書に書いてある言葉はそのままその人に伝わるのだろうか?
聖書ほど大きなテーマじゃなくいてもいい。
お金だけでは幸せになれない。
お金を手にするのが手段になってはだめだよ。
お金は人生の目的をかなえる手段に過ぎないんだよ。
と言うような内容が書かれている本を『これを読めば儲かるのか!!』と金銭欲にまみれた人が読んだら正しくその内容を理解することはできないだろう。これは本当に大切なことなのだけど、自分の視点、自分こだわりを持って本を読んでも『新しい知識はほとんど増えない』のだ。これは本当に本当に大切なこと。
私のフェイスブックページを見て私も読むぞ!!と思ってくれた人が増えていることは本当にうれしい。でも、読書というのは新しい知識、考えとの出会いこそ醍醐味なのに、自分のこだわりばかり持って読むとその出会いを自分から遠ざけることになる。
じゃあ、自我を捨てて読めばいいのか?一切のこだわりを捨てて読めばいいのか?
理想論としてはそうなのだけど、それって要するに仏教で言えば『悟れ』といってるのと同じになるのでハードルが高すぎる。なので私がおすすめなのは『著者の視点を想像しながら読む』ということ。何かの意見があれば、この著者はどんな気持ち、どんな意見、どんな考えでこれを書いたのだろうか?ということをイメージながら読む。冒頭の男の子と女の子のたとえで言えば、男の子は果たしてどんな気持ちで言ってるのだろうか?と想像する。それだけでかなり違う。例え相手が異性でも、故人でも、外国人でもそこは同じ。グーグルで著者を調べたら著者の写真とかも出てきて、なおイメージしやすい。こういう一手間をかけると読書がとてもいい経験になる。
最初はぴんとこなくてもいい。自分の視点だけで読むと新しい知識が入ってこないという可能性がある、と思って読むだけでも違う。その次に、最低でも気になった本は3回ほど読む。そうすると自分の視点以外でも読みやすくなる。そういうことを気にしながら読むととてもいい読書体験になる。
プログラマーの本を読めばプログラマーの視点で世の中を見ることができる
経済学者の本を読めば経済学者の視点で世の中を見ることができる
経営者の本を読めば経営者の視点で読むことができる
宗教家、思想家、哲学者、社長、大統領、政治家、天皇、将軍、軍人、ホスト、キャバ嬢、大工。。。。などなど、世の中には大量の人の、いろんな視点がある。それらの視点ごとに世の中を見れるようになると、一つの自分の視点しかない人に比べて圧倒的な知識を手にすることができる。それが読書の醍醐味の一つだ。圧倒的に読書をすることにより、様々な視点を手にして、常人には考えられないくらいの知識量を持つ。
そんな読書は人生をいろいろと豊かにしてくれるはずだ。そういう気持ちで読書をしてほしい。それについて動画で語っているのはこちらの動画です。さて、今日はそろそろ寝ます。おやすみ^^
月数千冊の読書する清水有高が読書で気をつける『価格と価値』について
http://youtu.be/qYEgnGteJJ0
7分の動画。私が読書をする際にかなり気をつけていること。例えば、何か問題を解決したい!という視点で読書をしてしまうと、実はその解決策が本に載っていたとしても『見えない読めない』ようになってしまう。貧乏な自分を何とかしたい、金持ちになりたい!と思って自己啓発本をいくら読んでも『例え金持ちになる方法が書いてあったとしても見えなくなる』という現象が起きる。これはとても重要なポイント。このページを見て本気で読書するぞ!と思ってる人は是非見て欲しい。
『愛している』
と言ったら正しく、女の子に男の子の意図は伝わるだろうか?おそらく伝わらない。男の子の意図は50〜100%くらいやりたい!かもしれない。あるいは純粋に愛していたとしても(そもそも純粋な愛とは言葉では表現不能だけど)、それが正しく伝わることはない。女の子の方は自分の視点、考え、思想、感情などのフィルターをかけて男の子からの『愛している』を『自分にとっての愛しているという言葉』としてとらえ、解釈をする。
たとえば私は珈琲が好きで、ブルーマウンテン、コピアルク、エリーゼブルー、モカ、マンデリン、、、、などなどいろんな豆を試している。そんな私が
『この珈琲おいしいよ』
と言って他人にすすめたとしよう。そしてその他人が珈琲を飲んで
『うん。おいしいね』
と言ったとする。その時、私とその他人は同じ珈琲の味を共有しているのだろうか?そんなことは絶対ない。私の中にある珈琲経験と、珈琲の知識は一般人よりもおおい。おそらく、珈琲豆代だけで相当かけている。そういう私の珈琲の味は、頭の中でいろいろな知識と混ざり合って『おいしい』になる。一方、珈琲に対して特別な思い入れもない人にとっての珈琲はただの飲み物に過ぎない。そんな人にとってのおいしいと私にとってのおいしいは絶対に違う。
つまり、言葉というのは愛しているという感情も、単純な珈琲の味覚すらもまともに伝えることができない。そんな言葉によって書かれている本達。当然、本には味とか感情以上の複雑な概念、理論、思想などが書かれている。著者が考えたとても高いレベルの知識をどうすれば、曖昧な『言葉』というもので私たちは共有できるのだろうか?
もし、そこを気にせず読みまくっているととんでもない間違いを犯すことになる。要するに、いくら読んでも無駄になるのだ。読者が自分のフィルター、自我を全面に出して読書をすると著者の言いたかったことはほとんど入ってこない。例えばキリスト教批判者が聖書を読んだとする。キリスト教批判の精神をたっぷり持って読んだとき、果たして聖書に書いてある言葉はそのままその人に伝わるのだろうか?
聖書ほど大きなテーマじゃなくいてもいい。
お金だけでは幸せになれない。
お金を手にするのが手段になってはだめだよ。
お金は人生の目的をかなえる手段に過ぎないんだよ。
と言うような内容が書かれている本を『これを読めば儲かるのか!!』と金銭欲にまみれた人が読んだら正しくその内容を理解することはできないだろう。これは本当に大切なことなのだけど、自分の視点、自分こだわりを持って本を読んでも『新しい知識はほとんど増えない』のだ。これは本当に本当に大切なこと。
私のフェイスブックページを見て私も読むぞ!!と思ってくれた人が増えていることは本当にうれしい。でも、読書というのは新しい知識、考えとの出会いこそ醍醐味なのに、自分のこだわりばかり持って読むとその出会いを自分から遠ざけることになる。
じゃあ、自我を捨てて読めばいいのか?一切のこだわりを捨てて読めばいいのか?
理想論としてはそうなのだけど、それって要するに仏教で言えば『悟れ』といってるのと同じになるのでハードルが高すぎる。なので私がおすすめなのは『著者の視点を想像しながら読む』ということ。何かの意見があれば、この著者はどんな気持ち、どんな意見、どんな考えでこれを書いたのだろうか?ということをイメージながら読む。冒頭の男の子と女の子のたとえで言えば、男の子は果たしてどんな気持ちで言ってるのだろうか?と想像する。それだけでかなり違う。例え相手が異性でも、故人でも、外国人でもそこは同じ。グーグルで著者を調べたら著者の写真とかも出てきて、なおイメージしやすい。こういう一手間をかけると読書がとてもいい経験になる。
最初はぴんとこなくてもいい。自分の視点だけで読むと新しい知識が入ってこないという可能性がある、と思って読むだけでも違う。その次に、最低でも気になった本は3回ほど読む。そうすると自分の視点以外でも読みやすくなる。そういうことを気にしながら読むととてもいい読書体験になる。
プログラマーの本を読めばプログラマーの視点で世の中を見ることができる
経済学者の本を読めば経済学者の視点で世の中を見ることができる
経営者の本を読めば経営者の視点で読むことができる
宗教家、思想家、哲学者、社長、大統領、政治家、天皇、将軍、軍人、ホスト、キャバ嬢、大工。。。。などなど、世の中には大量の人の、いろんな視点がある。それらの視点ごとに世の中を見れるようになると、一つの自分の視点しかない人に比べて圧倒的な知識を手にすることができる。それが読書の醍醐味の一つだ。圧倒的に読書をすることにより、様々な視点を手にして、常人には考えられないくらいの知識量を持つ。
そんな読書は人生をいろいろと豊かにしてくれるはずだ。そういう気持ちで読書をしてほしい。それについて動画で語っているのはこちらの動画です。さて、今日はそろそろ寝ます。おやすみ^^
月数千冊の読書する清水有高が読書で気をつける『価格と価値』について
http://youtu.be/qYEgnGteJJ0
7分の動画。私が読書をする際にかなり気をつけていること。例えば、何か問題を解決したい!という視点で読書をしてしまうと、実はその解決策が本に載っていたとしても『見えない読めない』ようになってしまう。貧乏な自分を何とかしたい、金持ちになりたい!と思って自己啓発本をいくら読んでも『例え金持ちになる方法が書いてあったとしても見えなくなる』という現象が起きる。これはとても重要なポイント。このページを見て本気で読書するぞ!と思ってる人は是非見て欲しい。
清水 有高Yukou Shimizu
ビ・ハイア株式会社 代表取締役
一月万冊 清水有高(しみずゆうこう)滋賀県出身。元不登校児、母子家庭育ち。ビ・ハイア株式会社代表取締役。滋賀県立大学人間文化学部卒業。ベンチャー役員、上場企業役員などを経験しコーチ、投資家、経営者として活動中。東京大学を始め各種大学でも講演多数。コーチングと読書を経営に活かし営業利益1億円以上、自己資本比率70%の会社を経営。8年間でスタッフ1人あたりの営業利益を100倍以上にする。
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