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2019.11.24 SUN - 読書ブログ

幸福は数値では測れない。しかし社会は数値でしか価値を共有しない。出版不況と人生の幸せについて。



価値のあるものは数値では測れない。しかし社会は数値でしか価値を共有しない。これは本を読んでいて凄く痛感します。そしてこれは本だけでは無く人間の幸福についても言える事だなと日曜考えて文章にしました。

いい本だから売れるわけではない。仮にいい本というのが事実をきちんと調べてそれに基づいて書かれたものだとします。そういう本を作るのはものすごく大変です。一方、何の調査もせずに言いたいことをただ書いただけ、その本の意見の根拠は何も無い、と言う本は作るのがとても楽です。

ここに売上、利益という数値を導入すると「コストをかけなければかけないほど利益が上がりやすい」となります。次に本というのは元々「売れるかどうかわからない」という性質があります。出せばこれだけ売れるだろう、というのは教科書などの一部の特殊なものだけです。

「出しても売れるかどうかわからない」となると1冊出すよりも5冊出す方が「いつか売れるかもしれない」可能性が上がります。これは書籍の出版点数を観るとわかります。

1950年代前半の頃は日本の出版点数というのは約1万点でした。1年間で1万冊新刊が出ていたのです。これが1980年代になると3万点以上になります。そして2000年代は7〜8万点になります。

出版社の皆さんは「沢山だして売れる確率を増やす」と頑張っていらっしゃいます。その結果どうなったかというと1995年は書籍の売上げが1兆円以上ありましたが2017年の段階では8000億円を切っています。

つまり、沢山商品数を増やしたのに売上は減ったという事です。出して売れるかどうかわからないから沢山出してみようと思ったが、結局売れなかったというのが現状なのです。

新刊数を増やすのは日本独自の再販制度の問題なども絡んでいるのですが、単純に「沢山商品数増やしたけど売れなかった」のが現状です。当然出版社はどんどん潰れます。2000年初頭にあった出版社の数は4000社を超えていましたが、現在は600社以上潰れて3400程度です。

出版社がどんどん潰れて、本を出しても出しても売れない。むしろ利益率がどんどん下がっている。

こんな状況で「いい本を作るために手間暇かけてコストをかける」ということは出版社は出来なくなっています。単純に計算して仮に出版点数が2倍になったけど売上が半分になったとしましょう。そうすると2倍の手間をかけて半分の売上しか出ないことになるので、1冊当たりの書籍にかけられるコストは4分の1になります。

こんな状況で「手間暇かけたいい本を作る」という事を実現することは不可能です。

でも、私達が「いい本だ」と感じる時はどういうときでしょうか。何冊も何冊も沢山読んで知識が増えていき、その中で「ああこれはいい本だ」と感じる時ではないでしょうか。この人が「いい本だ」と認識する行為自体を「数値化」することは不可能です。人によって人生それぞれですし、価値観もそれぞれ、そんな中で沢山読んでその人オリジナルの価値観で「いい本」だと認識するのです。

その認識のプロセスを数値化出来ないという事は、本の本質的な価値は「数値化できない」という事なのです。

しかし、資本主義で流通すると「売上」「利益」という基準で本の価値は測られて数値化されてしまいます。資本主義がお金で測られるなら民主主義なら人気で測られます。民主主義は最終的に「投票」という数値で意志決定されるのでその本が人気かどうかでやっぱり数値化されてしまいます。

本の本質的な価値は数値に出来ないのに社会で共有する価値観は数値になっています。この歪みはすさまじいもので「売れる本が偉い」となってしまいます。しかし、たまたま売れなくても本質的に素晴らしいと感じる本は沢山あります。

例えば2000年に出た「立法の中枢 知られざる官庁・内閣法制局」という本があります。これは私に取って凄くいい本で、内閣法制局という組織がどのようなものなのか知るきっかけになりました。内容を簡単に説明すると、法律を作る立法権を持っているのは本質的には我々国民であって、我々国民が選んだ政治家が持っているはずです。しかし、内閣法制局という行政の組織が「立法権」に対して実質的に大きな影響を持っていると言うことを知りました。



この本を書いた西川伸一さんは明治大学の教授なのですが、他にも「裁判官幹部人事の研究」など面白い本を書いています。国家の運営について色々研究されているいい本です。

でも、この本知っていましたか?知らないでしょ。知っている人がいたらそれは相当マニアックです(笑)

この本を書くには凄く手間がかかったと思います。仮にこの本が3000部売れたとしましょう。一方で芸能人のエッセイ本が5万部売れたとしましょう。どっちのほうが「いい本」になるかと言えば、数値化出来る基準だけで考えると圧倒的に芸能人のエッセイ本になるのです。

芸能人のエッセイ本もまた人によってはいい本だと思います。その価値観は自由です。しかし、私は西川教授が書かれた本は社会的にも今の日本においても「数値化出来ないけど凄く価値がある本だ」と感じたのです。

ここで私が認識した西川教授の本の価値は数値化出来ません。もし、これを誰かに伝えようと思ったら官僚制度の歴史、日本の社会の歴史、そして今の社会問題、自民党の問題などなどを大量に話して「ようやく伝わるかどうか」です。伝わらない人もいるでしょう。

これに対して販売部数や売上は非常にわかりやすい。3000部と5万部、どっちが売れた?となると、一瞬で「部数は5万部の方が約17倍凄い」と認識出来ます。非常にインスタントに理解出来るのです。

数値化出来ない価値は伝えたり共有するのが凄く大変だけれども、数値化できる価値は共有が凄く楽。これは本だけはなく、私の大好きなアニメゲーム漫画も同じです。例えば私が好きな漫画には宇宙英雄物語、パンプキンシザース、ヨコハマ買い出し紀行、バイオレンスアクション、イレブンソウルなどなどがありますが、全部合わせてもワンピースの売上げに全く及ばないでしょう。しかし、私の中で特に!「宇宙英雄物語」はワンピースとは比較にならない人生においてナンバーワンの作品なのです。これを他人と共有するのは凄く難しいでしょう。

数値化出来ない本質的な価値は共有しにくいけど、数値化できる価値は共有が楽です。これを続けていくとみんな「共有出来る数値化された価値」ばかりに目を向けるようになります。そうすると悲惨です。

これを書籍に例えてみましょう。数値化出来ない本質的な価値を持っている著者が、それを言語という手段で共有出来る文章にしたのが本です。本質的な価値は言語化・数値化出来ないものですが、とても大切な価値です。

例えば私が応援している元朝日新聞社で現在フリージャーナリストの烏賀陽弘道さんは、自分が本当の意味で報道を続けて行こうと思ったら朝日にいてはダメだ、と思って独立されています。その信念などは最終的には言語化して共有出来る物ではありません。しかし、その信念があるからこそ、烏賀陽さんの本は烏賀陽さんの本として成立します。

ジャーナリスト烏賀陽弘道さん


ソクラテスやプラトンだって、残っているのは言語化されている対話の文章です。あれでソクラテスの全てがわかったと言えるでしょうか。絶対に言えません。

ソクラテスは自説を著作として残さなかったのは、自分の言語化できないものを文章という言語化したものに残すこと自体嫌ったからです。仏陀もイエス・キリストもどちらも著作は残していません。

彼らは自分が感じる事を全て文章という手段で残すのは不可能だとわかっていたのです。ヴィトゲンシュタイン風に言えば「語りえぬものについては沈黙せざるを得ない」という事です。

本当に数値化できない価値を重んじる人達は、文章にすら自分の考えを残さないという態度なのです。そういう態度を取る人もいますが、本質的な価値をなんとか文章にしてせめて伝えたいと思う人もいます。そういう人がいるからこそ私達は読書を楽しめるのです。

その著者が持っている信念や哲学は完全に文章化することは出来ません。そういう共有不可能なものをなんとか文章にした知の結晶が本だと思います。

1.言語化出来ない・数値化できない本質的な何か

2.なんとかしてそれを文章化して本になる

これが本が出来上がる過程です。その本を社会で流通させようとするともう一つ矢印が追加されます。

1.言語化出来ない・数値化できない本質的な何か

2.なんとかしてそれを文章化して本になる

3.本を広める。売る。

この3番目が追加されると1と2の段階では「共有されない本質的な何か」や「本質的な何かを文章にする」という行為で良かったのですが突然「数値」が入ってきます。売上、利益、人気などです。

本が生まれる過程で大事なのは1と2の筈です。しかし、みんながわかりやすく共有出来るのは3番の数値なのです。そして、この数値で測る価値ばかりが横行しています。

例えば、Twitterで全く見当違いな意見が100万リツイートされたとしましょう。そうすると人はなんとなくその意見に価値を持ってしまうのです。そしてその見当違いな意見に対して「ちゃんと反論」した意見が5リツイートしかされなかったら?それがちゃんとした反論だと、みなさんは正確に見る事が出来るでしょうか。

これは恐ろしい事で、社会の運営や現実の国際問題にも当てはまります。例えば朝日新聞や産経新聞、毎日新聞、NHKが報道している中国の尖閣諸島問題はそうとう歪んでいるニュースばかりです(烏賀陽さんの『世界標準の戦争と平和』参照)。それをおかしいよ、と指摘する人達もちゃんといます。しかし、どっちの意見の方が「人気」か、という観点で見て人気投票を行えば、偏ってる方が勝利するでしょう。

もうすぐ問題となるであろう憲法改正についても同じです。現在は憲法改正についてメディア規制、広告費の上限規制がありません。そうすると予算を持ったものが強いと言うことになります。この問題は私が応援している本間龍さんという作家さんが指摘されていることです。

作家 本間龍さん


憲法改正や尖閣諸島問題で日本政府がどう振る舞うか、というのは「人気」や「金」では決めてはいけない多くの問題があります。しかし、このままでは数値化できる価値に押し切られて本当に考えなくてはいけないことが押し切られてしまうでしょう。

私はこういうのを政府やマスメディアのせいだけにしては行けないと思います。なぜなら、本の売上げ、書籍の売上げは政府によって規制されていません(今の所、ですが)。出版社は「お客様」のニーズに応えるべく沢山本を出して出しまくってその結果、1つの本に手間暇かけられない状況になっています。これはお客様のニーズ、読者の欲求に答えた結果ではないでしょうか。

おそらく、日本全体が本質的に価値のあるものは数値では測れないということを忘れてしまって、数値化出来るわかりやすい価値に飛びつき続けているのではないでしょうか。

出版社に検閲統制があり、手間暇かけた本など作るな、取材などさせるな、事実を元にきちんとした本を書くな、という規制があってこの現状が産まれているなら読者のせいではないのですが残念ながらそうではありません。私達の日々の思考の中にも何いかこういう状況を作った原因があるのではないでしょうか。

・唐突なのですがみなさん今幸せですか?
心から不幸を感じず幸せだという人は少ないのでは無いでしょうか。

では、その不幸な原因は何でしょうか。仮にそれがお金が原因なのであれば「数値化出来る基準で、自分の幸せという数値化出来ない価値を計っている」ことになります。こういう心の構造を持っている人はお金を持っても不幸です。

幸せになるという事はまず、誰とも共有出来ない本質的な価値を自分の中に見つける事です。もう少し噛み砕いた言葉を言えば「自分の幸せの形」を自分で見つける事です。その幸せの形は誰とも共有出来ません。とても孤独な作業です。でもそれを見つけた人はとても幸せです。世間の基準がなんであれ、その人は自分の中で幸せなら幸せなのです。

何故幸せなのですか?と聞かれても「自分がそう感じてるから」でいいのです。いちいち説明する必要も、相手を説得する必要もないのです。

そういうものを見つけられないと自分の幸せを「他人と共有出来る数値化可能な価値観」で自分を測ろうとします。人間というのは100人いれば100通りのかんじかたがありますから、他人と共有出来る価値観で幸せを感じようとしても無駄です。他人の価値観には、自分が幸せだなって感じられるもの以外が必ず潜んでいます。

更にいえば数値化出来ない価値を自分の中に持っている人は人生のピンチにおいても強いと思います。なぜなら人生のピンチは社会との関係性の中で生まれるからです。例えば貧乏になったというお金の問題に対しても、所詮はお金という他人と共有出来る価値観における危機に過ぎません。

自分の数値化出来ない価値がしっかり内面にある人は、お金という外面的な問題に対しても冷静に対応できます。しかし、自分の内面の価値が無い人はお金という外面的な問題がその人の全てを傷つけうる問題に発展します。内面がしっかりしている人は「お金の問題があってもそれは自分の人生の問題の一部に過ぎない」と捉えられますが、そうで無い人はその外面的問題に振り回されるのです。

そうすると人生の幸福において他人と共有出来る価値観以外で自分の幸せを追求することは心の安定につながり、その結果他人と共有可能な価値観(お金や人気、人間関係)等においても上手く立ち回りやすくなると私は思います。

例えば私は中学校2年11ヶ月不登校でした。更に高校は偏差値30台の通信制高校でした。世間の基準で言えば完全に落ちこぼれです。しかし私は私の基準において幸せでした。もし、私が世間の基準に合わせて「落ちこぼれだからダメだ」と思っていたら?私は幸せな少年時代を過ごせたでしょうか。

私は世間の基準は一切無視し、周りの大人から病気扱いされても「私は幸福」と私が感じていたので幸福でした。その結果、安定した気持ちで好きなだけ好きなように勉強し、遊んでいました。そしたら特に浪人することも無く地元の公立大学に行けました。もし、私が世間の基準に振り回されていたら、他人と共有出来る価値観としての「学校に言ってない子供はダメ」に振り回されていたら、勉強も楽しく出来なかったでしょう

お金にも人気にもならない自分だけの幸せって何?と考えた方が、お金や人気もある意味手に入るのです。ただ、困った事にお金や人気、人間関係などで問題を抱えている人ほど余計に自分だけの価値よりもその他人と共有出来る価値を解決したくなってしまいます。これは悪循環になります。

内面に向き合っていなかったからこそ外面の問題が起きているのに、とりあえず外面を解決しようと思っても無意味です。火事になっている現場で火元を消火せず、とりあえず目の前の火に向かってバケツで水をかけるようなものです。原因から断つ必要があります。

数値化出来ない価値を大切にしないことは、人生において「芯」を失うようなものなので大変気持ちが不安定になります。不安定であればあるほど、人は数値化出来る価値においてもなかなか上手く行かない。

出版業界の不況は、私達が人生の内面的価値を無視してるから生まれているように見えてきます。

出版が衰退して行っているのは、人それぞれが不安におののいて自分の中の自分の幸せを見つける力を失ってしまっているのと重なってるように私は見えます。なぜなら、本も人生も本質的な価値は「数値化出来ない」からです。

一人一人が自分の中の数値化出来ない人生の価値を大事にしたら、その人達は少なくとも幸せになるでしょう。そしてそういう人が多い方が「他人の数値化出来ない価値」も尊重するようになると思います。そんな風になるためにも、私は今日も読書をして自分の応援する著者を応援したいと思うし、自分の中の幸せを大事にしたいと思うのです。

みなさんは数値化出来ない価値、大切にしてますか?

今日はそんなことを考えた日曜日でした。いいね!

出版についてのデータは出版科学研究所と出版ニュース社を参考にしました。

追伸
最近清水さんにFacebook友達申請多いのですが一言「記事見ました。申請します」と書いて送って頂けると申請しやすいです。よろしくお願いします。

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清水 有高Yukou Shimizu

ビ・ハイア株式会社 代表取締役

一月万冊 清水有高(しみずゆうこう)滋賀県出身。元不登校児、母子家庭育ち。ビ・ハイア株式会社代表取締役。滋賀県立大学人間文化学部卒業。ベンチャー役員、上場企業役員などを経験しコーチ、投資家、経営者として活動中。東京大学を始め各種大学でも講演多数。コーチングと読書を経営に活かし営業利益1億円以上、自己資本比率70%の会社を経営。8年間でスタッフ1人あたりの営業利益を100倍以上にする。

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