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2014.04.18 FRI - 読書ブログ

リチャード・ドーキンス神は妄想である、と聖書のはじめに言葉ありき

リチャード・ドーキンスの本を一式読み直した。ドーキンスの神は妄想であるという本は150万部の大ベストセラーになり、非常にセンセーショナルな議論を巻き起こした。

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私の出身大学である滋賀県立大学の創設者であり初代学長である日髙敏隆さんが監訳をしていた関係もあり、ドーキンスの主著の一つである利己的な遺伝子は学生時代にも触れたことがある。もっとも、学生時代は分厚すぎて読むのにものすごく時間がかかった(笑)

ドーキンスは一貫して神を否定している否定どころか神や宗教を攻撃している。例えば2001年9月11日のアメリカのテロ事件の際にはこのように書いている。

我々の多くは宗教を無害なナンセンスだと考えている。信仰はあらゆる種類の証拠を欠いているが、松葉杖を必要としている人たちの安らぎとなることができる。どこが危険なのだ?と。9月11日以降、全てが変わってしまった。宗教信仰は無害なナンセンスなどではなく、致命的に有害なナンセンスとなった。宗教は人々の持つ正義感に強固な信念を与えるために危険である。他人を殺害することへの抵抗心をなくし、殺人への誤った勇気を与えるために危険である。異なる伝統を持つ人々に敵というレッテルを張るために危険である。そして宗教は、特別に批判から守られるべきだという人々からの奇妙な賛同を得たために危険である。忌々しい敬意を払うことはもう止めるべきだ!

と。宗教は一般的に無害といわれているがそんなことはない。有害であり、危険であると言い切っている。日本でも新興宗教が何かしら社会的な事件を起こすことを考えると、宗教=無害とはいいにくい。今回読んだドーキンスの本は悪魔に仕える牧師とか、神は妄想であるとか、タイトル自体がかなり宗教に対して攻撃的だ。進化の存在証明という本の中でも『宇宙の歴史が数千年しかないと信じる人たち』『生物は神によって創造されたという人たちがたくさんいる』という事について科学的見地から批判をしている。
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ドーキンスの本はたまに読み返すと非常に刺激的でおもしろいのだけど、ふと、不思議に思って旧約聖書と新約聖書を読み直した。ドーキンスが否定する世界がそこに広がっている。しかし、新約聖書におけるヨハネの福音書の最初の言葉には不思議な共通点を感じた。
いわゆる有名な『はじめに言葉ありき』の一文だ。
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言が肉となった。

はじめに言があった。言は神とともにあった。言は神とともにあった。言は神であった。この言ははじめに神とともにあった。万物は言によって成った。成ったもので言によらずになったものは何一つなかった。言の内に命があった〜以下略

ここに不思議な共通点を感じる。言葉の内に命があった、とはなんとも不思議な感じた。すべては言葉でできている。はじめに言葉ありき。言葉というと、英語とか日本語とかそういう言語をイメージするけど、すべての言語より抽象度の高いもの、情報としてとらえるなら、遺伝子に書き込まれているのも情報であり、言葉だ。情報により万物が成り立ち、情報があって肉=物質が生まれる、とも解釈できなくない。そうすると、仏陀が言ってる全ては空である、関係性である、という話とも共通点が生まれてくる。全てが言葉で生まれ、成り立ち、言葉というのが抽象度の高い情報というなら科学も、ドーキンスも、仏陀も共通点がある。

もっとも、だからといってドーキンスと聖書が全て一致するとは考えてない。ただ、ヨハネの福音書の最初だけは不思議な雰囲気を放っている。そんなことを考えていて思い出したのはネイチャーの記事だ。

Parental olfactory experience influences behavior and neural structure in subsequent generations
http://www.nature.com/neuro/journal/v17/n1/full/nn.3594.html
雄の子孫に危険を「警告」する遺伝メカニズム、マウスで発見
http://www.afpbb.com/articles/-/3004325
この記事。詳しい話はさておき、要はラマルクが正しいかもしれない。ダーウィンが間違ってるかもしれない。でも、まだ証拠に乏しいから確定はできない。という記事。ここでラマルクがどうのこうの、ダーウィンがどうのこうのと言い出すと長くなるから端折る。
フランスの生物学者、ラマルクは19世紀初めに唱えた生物進化に関する仮説で「獲得形質の遺伝」を主張した人(今はそんなに有名じゃないけど当時はすごく有名な人だったらしい)。ダーウィンの進化論でいうと首の長いキリンと首の短いキリンは昔同時に存在していたけど、自然淘汰で首の長いキリンだけ残った、という説明になる。しかし、ラマルクによると『キリンの首が長いのは何世代もの間、キリンが高いところへ首を伸ばす努力をしたから、となる。祖先の経験や学習の結果が遺伝する、ということだ。要するに読書好きの私のことどもは読書好きになる可能性が高い、ということだ。でも、ラマルク仮説は、一般的には否定されている。進化は突然変異や自然淘汰で起きたのであって両親が獲得した経験は遺伝しないといわれてきた。それが間違いかもしれない、と言う意見が発表された。
ダーウィンの進化論は一般的に正しいとされてきたけど、結構残酷な意見だ。我々の努力よりも自然淘汰や突然変異によって進化は促されてきた、生物は淘汰されてきた、というのが正しいなら我々生物は自然環境に左右される存在で個体としての努力はあまり意味をなさないことになってしまう。しかし、ラマルクは『経験や努力が遺伝する』と言っている。これが正しいなら私たちは宇宙に対してより主体的に働きかけることができる存在と言うことになる。
そして、経験や努力は何によって記述されるのだろうか。それは文字としてこのように記述されなくても、頭の中で言葉をもって思考される。言葉を一切使わず思考することはかなり難しい。物理的な文字によって記述されようが、頭の中で思考されようがそれは言葉に違いない。言葉という情報状態が、遺伝や進化というものに影響を与えている可能性がある。
なんだかそう考えると、ヨハネの福音書も、ドーキンスも、ダーウィンも、ラマルクも仏陀も、結局行き着くところは一緒なんじゃないだろうか。全て情報により成り立ち、それが物理にも影響を与えているなら私たちはもっと宇宙に対して主体的に生きていくことができるのではないだろうか。そんなことを考えた朝の読書だった。
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清水 有高Yukou Shimizu

ビ・ハイア株式会社 代表取締役

一月万冊 清水有高(しみずゆうこう)滋賀県出身。元不登校児、母子家庭育ち。ビ・ハイア株式会社代表取締役。滋賀県立大学人間文化学部卒業。ベンチャー役員、上場企業役員などを経験しコーチ、投資家、経営者として活動中。東京大学を始め各種大学でも講演多数。コーチングと読書を経営に活かし営業利益1億円以上、自己資本比率70%の会社を経営。8年間でスタッフ1人あたりの営業利益を100倍以上にする。

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